神とはいったい何なのかについて考えてみた。
私は、これまで「神が人間をつくった」のではなく、
「人間が神をつくった」と思っていた。
どこかの宗教団体の教祖が信者を支配するために、
神という絶対的な力をもった、人のような形をした
イメージを作り上げたのだと思っていた。
実際に、これまでの私の人生で神などというものには、
出会ったことがない。
ところが、井原先生ははっきりと
「神は存在する」とおっしゃいます。
私たちは、毎日毎日、神様と出会っているが、
それに気づかないだけだ。と・・・
この広い宇宙のなかに、地球という星があって、
その星には不思議なことに人が生きてゆくのにちょうど良い、光、空気、水、重力、さらに美しい木々、花々、・・・
すべてが人間のために完璧に用意されている。
これらは、いったい誰が創ったんだろう?
光も、空気も、水も、重力も、木も、花も、
人間が創ったものではない。
やはり、神様が創ったというしかない。と思う。
実際、人間はえらそうにしているけど、何一つ創っていない。
神様が創ったものを利用して生きているだけだ。
話は変わるが、最近の物理学では、
物というものはないということだそうだ。
最新技術を使って物質を、分子→原子→素粒子→と
小さく見ていくと、その先にはもはや物と呼べるものはなく、
現れたり、消えたりする運動(ゆらぎ、波動)がある
ということだそうだ。
物を研究する物理学で、物がないということがわかった
というのは笑ってしまうが、
これは、まさに2500年前にお釈迦様が言った
「色即是空」そのものではないか。
色(有ること)、これすなわち、空(無いこと)である。
私は、この有から無、無から有へと変化させる根本のエネルキーのところに、何か神が関係しているのではないかと思っている。
神はきっと、
何もないところから何かを創り出す事ができるのだ。
そして神はきっと、
何か有るものを無くしてしまうこともできるのだ。
考えてみれば、
人間もこの世に生まれ出でては、死んで消えてゆくもの。
これは無から有、有から無への運動ではないか。
木や花やまわりのものすべてがそうだ。
さらに大きく考えれば、
この宇宙そのものがビッグバンから始まって現れ出でて、
はるか遠い未来には消えていくもの。
やはり無から有、有から無への運動。
すべては、神のうちにあるのだ。
神は、この宇宙のあらゆるところに、あらゆる形をとって現れ、
そして無へと還っていく・・・
言ってしまえば、
神とは宇宙全体の運動のこと。宇宙全体が神だ。
この世のすべては神の現れ。
神は、木々の中に現れ、山に現れ、川に現れ、
人間の中に現れ・・・
われわれは、神の現れなのだ。
・・・今日は、そんな気がした。