輪廻と死後の生

私が、初めて死というものを意識したのは、10年ほど前だった。

その日は、休日で家で休んでいたのだが、
突然「あれ、なんとなく心臓のあたりが気になる」と感じた。

普通心臓が動いているなんてわからないわけだが、
心臓が動いているのがはっきりとわかるのだ。

そして、だんだんと心拍が強くなっていき、
何かグーッと圧迫されるような感じになった。

うわっ、ヤバイ、ヤバイ。
場所が心臓なだけに、かなりのパニック状態になった。

あわてて、隣の部屋にいた嫁さんのところに行って、
心臓がヤバイことを伝え、

今より悪くなったら救急車を呼んでくれといって
ベッドに横になった。

しばらくしたら、
少しずつ気持ちも心臓も落ち着いてきたので、
救急車を呼ばずに済んだのだが、

小心者の私は、回りにお迎えがきている感じがして、
ほんとに死ぬんじゃないかと思った。

その日をきっかけに死というものを現実として
考えるようになった。

死について、考えれば考えるほど怖くなってしまう。

なぜなら、この今生きて存在している自分自身がすべて
なくなってしまうのだから・・・

死は自分からすべてのものを奪ってしまう。

死後には、もう何も見れず、何も食べられず、
何かを考えることも感じることもできない。

今までの自分の人生は、何だったのだろう。すべて失敗だ。

その人生でどんなに成功して、お金持ちになっても失敗だ。
死んだらお金に意味はない。

お金持ちには成れなかったが、愛する人と暮らせても失敗だ。
死んだらその人にはもう会えない。

どんな人の人生も、すべて失敗だ。
なぜなら結局、最後には死がすべてを奪ってしまうから・・・

私には、ほかの人は皆このことを知っているのに、
気づかない振りをして生きているように見える。

自分自身も、気づかない振りをして、
なんとなく惰性で生きてきた。

ところが、井原先生は明快におっしゃいます。

死は存在しない。
死ぬのは肉体だけであって、魂は死なない。
魂は不滅だ。と・・・。

先生のお話では、人間は死ぬと肉体から離れて異次元にあるいわゆる死後の世界(霊界)に行くのだそうです。

そして死んでから、自分が霊界のどの位置に行くのかが楽しみなのだそうです。

死後の世界については、自分は死んだ経験がないため、なんとも言えないのですが、

霊界に行ったことがあるという、
スウェーデンボルグの記述が参考になると思います。

もともと、インドなどでは輪廻という考え方があります。

輪廻とは、この世のすべては繰り返すということです。

朝、東から上った太陽は、頭の上を通って夕方に西へ沈みます。
そして翌日の朝、また東から上ります。

季節は、春→夏→秋→冬と変化し、また春がやってきます。

山に降った雨は川となって流れ、海にいたり、
蒸発してまた山に雨を降らせます。

春になって、咲いた桜は、はかなくも散ってしまいますが、
次の春にはまた咲き始めます。

このように、神が創った自然の世界では
すべてが繰り返しています。

神は、きっとすべては繰り返すという
法則・ルールを作ったのです。

そう考えると、
死ですべてが終わってしまうというのは、
なにか不自然です。

人生も、誕生→幼年→青年→壮年→老年→死ときたら、
次には誕生が来ると考えるのが神の法則に従った、
自然な考え方ではないでしょうか?

私はまだまだ修行不足で、先生のようにはっきりと
死後の生を知覚することはできないですが、

この人生のどこかの地点で、
死の後に続く永遠の生に目覚めることが、
死の恐怖を乗り越える唯一の方法だと思っています。


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