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OSHO禅タロット

久しぶりの投稿です。

最近は、仕事上の事でいろいろな変化が集中してやってきて、ばたばたと忙しかった。

こういうときこそ、起こってくる出来事に惑わされず瞑想的でいようと思うんだけど、なかなか難しいね。

仕事上のこととなると、やっぱ生活もかかってるし、心配事が出てきたりもする。

この心配事も楽しんじゃえばいいんだけどねー

で、ここ2ヶ月ほど助けになったのが、OSHO禅タロット

  

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タロットというと占いとかをイメージすると思うけど、これは「気づき」のタロットです。

しおの使い方としては、1日に1度、1枚引くだけ。
おー、シンプル!ってか、使い方よう知らんし(笑)

出てくるカードには、すべてOSHOの気づきの言葉がついているので、必ず何かに気づくんだよね。

その意味では、ハズレのないカードです。

全部、当たり!!! さすが、OSHO 笑笑

それから、不思議なのは出てくるカードは自分の想いとシンクロしてくるってこと。

攻撃的なマインドになってるときには、FIGHTINGが出てくるし、

ちょっと物事がうまく行ったりすると、SUCCESSが出てくるし、

無について探求してたときは、やっぱりNO-THINGNESSが出てきたし、

このタロット買って最初に1枚引いた時、The Masterが出てきたときは、ちょっとビビったけど・・・


占いというのは、未来が決まっていることを前提に成立するものだと思うので、

タロットを引くときも出てくるカードは決まっているのかもしれません。

OSHO禅タロットは、マインドとシンクロして出てきたカードに、

OSHOの気づきの言葉がさらにシンクロして、

より瞑想的なスペースへと導いてくれます。

人生ゲームの楽しみ方として、こういうのも面白いよね。

七身体の神秘

肉体が生きているうちに、7つの身体の問題を何とか解決したくて(笑)OSHOの本を読み直してみた。

7つの身体とは、人の身体は目に見える肉体だけではなく、目に見えない微細な波動体が重なって構成されているというものです。

OSHOによれば、人間がその本来の資質通りに、順調に成長していけば、7年ごとに次の身体→次の身体へと発達していくのだそうだ。

1.肉体 生涯の初めの7年間は肉体的な身体だけが形作られる。
     ↓
2.エーテル体(生気体) 7歳から14歳までに発達する
個人の感情が成熟する。感情の強烈な形である性的成熟が14歳で達成される。
     ↓
3.アストラル体(星気体) 14歳から21歳までに発達する。
理論や知性、思考力。教育や文明、文化から生まれてくる。
     ↓
4.メンタル体(精神体) 28歳までに成長するが、ほんの少しの人しか発達させれない。夢は第4身体の出来事で、想像力が発達する。催眠術、テレパシー、透視など普通にはない経験をする。可能性とともに危険もある。
     ↓
5.スピリチュアル体(霊体)35歳までに発達する。
第5身体を見出したものはごく少数。アートマンへ到達した者、霊的な人と呼ばれる。第5身体で止まってしまう者は神を否定する。ブラフマンはないと言う。ここで止まってしまう者も多いが、まだ先がある。
     ↓
6.コズミック体(宇宙体) 自然に発達すれば42歳で到達する。アートマンを手放す覚悟ができたときに6番目の身体に入る。
     ↓
7.ニルバーナ体(涅槃体) 49歳で到達する。何の身体ももたないニルバーナの、体であり体なき状態、無形の状態、ただ空だけが残る究極の状態。ニルバーナという言葉は炎の消失という意味を含んでいる。

 

OSHOの言葉を自分なりに解釈すれば、

まず肉体が生まれ、肉体を囲むように感情(エーテル体)が発達し、社会で生きていくにつれて思考や知性(アストラル体)が発達する。

ここまでは、通常の人間が誰でも到達する領域だが、第4身体(メンタル体)以降はヨーガや瞑想などの修行によって意識的に発達させていく領域になる。

第4身体を超えれば、第5身体でアートマン(真我)を発見し、第6身体のブラフマン(全一神)へと進み、究極の「無」へと到達する。

と言うことになると思う。

尚、OSHOは7つの身体に分類するが、他本によっては5分類であったり、アストラル体が感情で、メンタル体が思考と書いてあったりするものがあるので、明確にきっちり分けられてるものではないです。


そして、OSHOは言う。

身体が7つあるように、チャクラ(エネルギー中枢)も7つある。各チャクラにはそれぞれ対応する身体があり、ある特殊なかたちで繋がっている。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 7image-300x158.jpg です

●7つのチャクラと7つの身体の対応

1.ムラダ-ラ・チャクラ(→ 肉体と繋がる)

このチャクラに先天的に備わっている基本的な機能は、肉体の性的衝動だが、瞑想によってブラフマチャリア(性超越)が達成される可能性が眠っている。

2.スワディスターナ・チャクラ(→ エーテル体)

このチャクラに元来備わっている機能は、恐怖、憎しみ、怒り、攻撃性だが、コインの裏表のように反対側には、愛、慈悲、勇気、優しさが隠れていてそれらに変容させることができる。

3.マニピュラ・チャクラ(→ アストラル体)

マニピュラには疑いと信頼の二つの顔がある。疑いが変容されると信頼が生まれる。疑いが究極まで行くと疑いすら落ちていく。ここで「信」が生まれる。

4.アナハタ・チャクラ(→ メンタル体)

この次元の先天的な特性は、想像と夢見だ。想像力が完全に発達すると決断力、意志力となる。夢見が完全に発達すると超常的なヴィジョンに変身する。夢見の能力が完全に花開いた人は、目を閉じただけで様々なものが見える。

5.ヴィシュッダ・チャクラ(→ スピリチュアル体)

この次元では二元性がなくなる。男性と女性の違いがあるのは第4身体までで、それ以降は無くなる。ここには非二元的で唯ひとつの潜在能力しかない。第5身体へ入った人は無意識的なところが完全になくなる。夜も実質上は眠らなくなる。つまり睡眠を取るには取るが、眠っているのは肉体だけになり、内側で誰かが常に目覚めている。

6.アジナ・チャクラ(→ コズミック体)

ここにはどんな二元性もなく、存在や実存を体験する。「私は在る」はここでやっと失われる。「私」は第5の次元で失われ、「在る」は第5の次元を超えるやいなや消え去り「在るということ」が感じられる。もはや私の存在ではなく、ただ存在だけがある。

7.サハスラーラ・チャクラ(→ ニルバーナ体)

このチャクラについては何も語りえない。何かを語っても大半が誤りとなってしまうだろう。第6身体でブラフマン、究極の実存を体験した後もまだ旅が残っている - 非実存へ、非存在への旅だ。今や「私はブラフマンだ」の状態もまた捨て去らねばならない。最後のジャンプへの準備ができてこそ、人は存在、そして非存在をも知る。

~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、7つの身体と7つのチャクラの繋がりがわかったとして、我々探究者はどうやってそれを達成するの?ってことになるわけだけど・・・

うーん、わからんけど(苦笑)

まぁ、ヨーガでも気功でも瞑想でも座禅でもなんでもいいと思うんだよねー

要は、「見ること」「観照」を続けること。

覚醒した人とは、常に観照している人のことだから。

チャクラを順番に意識していく瞑想法があったけど、そういうのもいいかもしれません。

 OSHOチャクラ・ブリージング瞑想

気功をやっている人は、だんだんと「気」が見えてくると言います。

私も若い頃、公園の木々がゴッホの絵みたいにオーラに埋まって見えるという時期があったけど、次なる体の顕現というのはそんな形で現れてくる気がします。

7身体も7チャクラも通常は目に見えないものだけど、これもまた波動(素粒子の運動)なので波長が合えば「見える」のかもしれません。

メンタル体以降の身体は、未知の探検そのものだから、何が起ころうと
大いなる気づきをもって 、ワクワクしながらやっていきたいと思う。

この肉体があるうちにね。

Love.

太母さん大師

あはは。笑っちゃったんだけど、勘違いしてた。

ずーっと、OSHOは59歳で肉体を離れたと思ってて、今年59歳になった自分はついにOSHOのこの世年齢を超えるのだ!

これは、この世的、あの世的、宇宙的かつ個人的に記念すべきことなのである!

なーんて思って、せっせとOSHO瞑想に励んでたんだけど、よく考えたら、

OSHOは1931年12月11日生まれの1990年1月19日没で、1990年にはまだ誕生日来てないわけだから1990-1931-1=58歳で亡くなってたんだよねー。

ちゅうことは、すでに1年前にOSHO年齢を超えてたってことなのよー(笑)

アホみたいだけど、しおらしくていいかもね。

何事もなかったかのようにOSHO年齢を超えられたのだから。

あとは、やりたいことやって、死ぬまで生きるさ。

Love you. OSHO

OSHOとは別の話だけど、

1990年頃、太母(たも)さんに会ったことがある。

太母さんは、OSHOが亡くなる少し前、彼の体調が悪かった頃に、OSHOにパワーを与えたいということでインドのOSHOコミューンを訪問しました。

そこで、太母さんはエンライトメントした(悟りを得た)人として紹介され、OSHOから花が降り注がれました。

って、当時サニヤシンの間で話題になったことがあった。

その太母さんが、熊本の天草を訪問するという機会があり、何人かで会いに行ったことがある。

天草で見た太母さんは、その時すでに80歳を超えてたと思うけど、ボクには「永遠の少女」のように見えた。

彼女が前を通るとき、ボクは胸の前で手を合わせてちょこんと挨拶をした。

太母さんもこっちを見たんだけど、その時、彼女からすごい気が出ていて、それに圧倒されてボクは動けなくなってしまった。

動けなくなったボクに近寄ってきて彼女が手をとると、目を閉じた視界がオレンジ色に照らされて、光がパチッパチッと鳴った。

という、たぶん数分間の経験がある。

その時に何かが受け渡されて、今でもずーっと残っている。

言葉ではない「それ」の受け渡しってやっぱりあるんだよね。

そのことをOSHOは「コミュニオン」という言葉で表現してました。

太母さんは「黎明」でも大師として紹介されています。

大師とは、この世で悟りを得た後に肉体を離れ、あの世からこの世の人々を導く波動の高い霊のこと。

OSHO、太母さん、キリスト、ブッダ、クリシュナ、、、他、名前も知られずに逝った悟りの霊たち。

キリスト教では、彼らのことを「聖霊」と呼ぶようです。

この聖なる霊たちは、いつも私たちのそばにいて

ドアをノックして、コミュニオンしてくるんだよねー。

ノックの音を聞き逃さないように・・・


菊池霊鷲 (太母さん)の世界⇒ http://www.iii.ne.jp/kikuchi/tamo-1.htm

オー、オショー!

空き家になっていた実家を人に貸すことになり整理している。

押し入れから、OSHOの本とかビデオとかいっぱい出てきた。

これ、どうしようかな?
今の家は狭いので置き場所ないし、
ヤフオクとかメルカリとか出しちゃおうかな~

なーんて考えたりするんだけど、

振り返れば、
24才のときにOSHO(バグワン)の本に出合ってから50代になるまで、ずーっとOSHO一筋、瞑想一直線だったんだけど、

7年前に体調崩して井原先生に出合ってから、OSHO以外にも実は悟った人っているんじゃね?って感じになって、

エックハルト・トール~非二元の人たち~ヌーソロジーの人たち~などの本を読んでますけど、

でも、やっぱり足元の基本はOSHOなんだよね。

非二元の前にOSHO、ヌーソロジーの前にOSHO

しおにとってOSHOはすべてを含んだ大きな存在。

死ぬまでそれは変わらないと思う。

OSHOのお墓の碑文には、


OSHO

決して生まれることもなく、決して死ぬこともない

1931年12月11日から1990年1月19日まで、惑星地球を訪れた



って記されているんだけど、これジョークだよね。

この宇宙は神の遊び場、宇宙の成り立ち自体がジョークなんだから、まぁそれでいいんだけど、

それにしても彼はさんざん人の人生に影響を与えておいて、じゃあバイバイ!って逝っちゃった。

そんな風に思ってるサニヤシン多いんじゃないかなぁ

しおの誕生日は12月10日、OSHOの誕生日と1日違いです。

肉体的にOSHOが死んだのは彼が59歳の時だったので、もうすぐ
59歳になるしおはOSHOのこの世年齢を超えることになります。

今度の12月11日、1月19日は祝祭でっせ。

誕生と死のセレブレーション!!

OSHO好きども!
OSHOと一緒に歌おうよ、踊ろうよ。瞑想しよう!

肉体から解放された現在、彼はあらゆるところにいるのだから

静寂に入ると、彼に会えるよ。


OSHOの瞑想&講話

この静寂とともに
あなたはある別の次元
あなたの内なる次元へ

それは内なる空への
広大な窓だ

あなたの翼を広げなさい
恐れることはなく

この道で自分自身以外の
誰かに会うことは
ありえないのだから

この静寂は
あまりにも恵みに満ちている

この静寂の中であなた方は皆ブッダだ

もしあなたがふたたび忘れてしまったら
それは別の話だ

これを覚えていなさい
覚えていなさい

これとあなたのライフワークが
何であるかは少しも関係がない

それは底流のように
24時間変わることなく
流れ続けることができる

内なる光だ そして
これはあなたの生全体を変える

その生き方を
生活パターンを
生への取り組み方を

これ以外に変容への道はない

これ以外に永遠に至る道はない

この瞬間

あなたは生を超え 死をも超える

あなたは肉体でもマインドでもなく
ただ純粋な覚醒だということを
より確かなものとするために

バン! (太鼓の音)

さぁリラックスして
体をあなたから遠く離れてしまった
死んだものとしてみなさい

そしてマインドもその体の一部
ひとつの機械作用だ

あなたはただ目撃する人だ
全く油断なくあること

そしてあなたは彼方なる
ものへと到達する

あなたは生と死を超え 二元性を超え
永遠なるもの不滅なるものを

あなたの広大無辺の全体性を感じるようになる
あなたはただの一部ではない

あなたは宇宙そのものだ
それがブッダであることの意味だ

これがあなたの無であり 
これがあなたの空なのだ  

全く純粋なスペース
この純粋なスペースから
あらゆる種類の創造性が沸き起こり

すべての歌がすべての喜びが
すべてのダンスが生まれるのだ

唯一この体験だけが
世界を取り巻く帯のようになった時

人類を自己自身から救うことが可能なのだ

バン!(太鼓の音)

もどってきなさい
静かに 優雅に 急ぐことなく

あなたが到達した意識と経験を保ちながら

なぜならすべての行為に
あなたの意識 あなたの慈悲
あなたの愛 あなたの瞑想が
映し出されるように

それを底流のように
24時間保たねばならないからだ

それはちょっとの間行なって
済ませるようなものではない

それはまさにあなたの呼吸
まさに心臓の鼓動そのものに
ならなくてはならないものだ

そのときにのみ未来の人間
新しい人間にとっての可能性がある

新しい人間(Newman)

彼らのマインドは破壊的ではなく
その大地は、国々は、分けられてはいないだろう

彼らは生を
詩人たちが常に夢に描いてきた生

そして僅かな神秘家たちだけが体験した
生のような

豊かで至福に満ち溢れ 穏やかで
愛に満ちたもののために
全エネルギーを注ぐことだろう

瞑想は入り口だ
瞑想はマインドをコントロールする
主人の目を覚ますための方法だ

その主人はマインドを従えることができ
真理や美 愛や喜びと言った
より価値あるもののために
マインドを使うことができる

お祝いしてもいいかな?

Yes. OSHO

OSHO瞑想

OSHOの瞑想法について書いてみます

私は30年以上瞑想をやっていますが、いまだに悟っていません。
(ここ笑うとこ)

悟りというものがあると考え、それを達成するために瞑想していたからです。

OSHOの罪作りなところは、彼の姿は美しすぎて、彼の話は素晴らしすぎて、見る者聞く者に憧れを抱かせてしまい、まるで悟りという特別なものがあるかのように思わせてしまうとこじゃないかなぁー、と思います。

愚かな私は、何十年もOSHOに憧れ、悟ることを目標にしていました。

瞑想は目標にして達成するようなものではありません。

瞑想をするという言い方自体が間違いです。

瞑想はすることではなくて、しないことだから。

何もしていないときは、「ただある」しかない。

マインドをわきへ置いて、ただあるということ。

ボディもマインドもストップ! ~ 静止 ~

そのときにひとりでに起こるのが瞑想です。

~ 春が来て草はひとりでに生える ~

音無き音がなり、静寂が訪れ、ただあるが残る

この世界にこれ以上のものがあるのだろうか・・・

だけど、ただあれ!といってもできません。

なぜなら、ただあることをやろうとするから。

猿のことを考えるな!と言われたら、頭ん中が猿で一杯になるように「ただあれ!」と言われたら、ただあるための思索でいっぱいになる。

そこで、OSHOの瞑想法にはある工夫がされています。

その工夫とは浄化(カタルシス)ということです。

あえて最初に、叫んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりして

内側にたまったガラクタを吐き出して浄化するのです。

その後にただあるに入ると、ただありやすいねというわけです。

さすがOSHO、シンプル! あと、ダンスはデフォです。

彼は、100種類以上の瞑想法を考案しているのですが、

そのうちで私が好きなものを5つほど書いておきますね。

 

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●ダイナミック瞑想

代表的なOSHO瞑想。
やる前とやった後では違う人間になったと思うくらい強烈な瞑想。昔は「ダイナミック小僧」と言われていたくらい大好きでしたが、あまりにも強烈で体力もめちゃ使うのでおっさんにはもう無理です。ここ10年以上やってません。

解説 ⇒ http://www.osho-japan.com/guide/dynamic2.html

動画 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=sbfVcigkNao

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●クンダリーニ瞑想

夕方にやる瞑想。叫ばないので家でもやりやすいです。
シェイク!シェイク!シェイク!で、体を揺らします。
ダンス!ダンス!ダンス!で、踊ります。
その後に、ただあるに入ります。
最後にぜ~んぶ解放。ヤッホー♪

解説 ⇒ http://www.osho-japan.com/guide/kundalini.html

動画 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=gz6S6_mtxH0

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●ナタラジ瞑想

ひたすら踊りまくる瞑想。踊っている途中から
踊り手がいなくなって踊りそのものになる。
踊った後にただあるに入り、そのあとは祝福~

解説 ⇒ http://www.osho-japan.com/guide/nataraj.html

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●ノーマインド瞑想

ジベリッシュという手法を使ったもの。
むにゃむにゃむにゃと意味不明な音を発し続けてガラクタ掃除する。掃除の後にただあるに入る。ストレス解消にちょうどいい。

解説 ⇒ http://www.osho-japan.com/guide/nomind.html

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●ミスティック・ローズ瞑想

笑いヨガが流行ってるみたいだけど、これは、笑って泣いて瞑想です。最初はジベリッシュ~笑いまくる~泣きまくる~ただある~の流れ。やはり、かなり強烈な瞑想でやったあとは逝ってしまうかも(笑)

解説 ⇒ http://www.osho-japan.com/guide/mysticrose2.html

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書いてて、瞑想やりたくなってきた。

今日はクンダリーニやろっと!

 

7つの身体

ずーっと気になっていること。

OSHOが言っていた7つの身体についてまとめてみる。

人間の体というものは、目に見える肉体だけではなく
周波数の異なる7つの体が重なっているというものです。

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【7つの体とOSHOのコメント】

1.肉体 ⇒ 目に見える身体
入息⇔出息

2.エーテル体 ⇒ チャクラはエーテル体に属する
愛⇔憎

3.アストラル体 ⇒ 磁力を吸ったり出したりしている
希望⇔失望

4.メンタル体 ⇒ 想念が出たり入ったりする
息を吸うとき想念が浮かぶ

5.スピリチュアル体 ⇒ 生命それ自体が第5身体
生⇔死

6.コスモス体 ⇒ 自我がない、一切が宇宙的になる
創造⇔破壊

7.ニルバーナ体 ⇒ 存在⇔非在 有⇔無

七つの身体を超えたらそこは、空、それは語られえない。
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これだけ見ても全くわからないわけだけど(笑)

この世のものはすべて波動であるから、目に見える肉体だけではなく、より微細な波動をもつ微細身が重なっているというのは納得がいきます。

そのあたりを、医学的に研究している人の本もあります。
リチャード・ガーバー(著) バイブレーショナル・メディスン

よく言うオーラやチャクラとかいうものは、エーテル体に属するもので、キルリアンカメラというものを用いて写真にとることも可能なようです。

熊本にも「あなたのオーラを撮ります」みたいなお店がありました。

今のところのボクの見解としては、アストラル体にこの生で経験した「感情」が蓄積され、メンタル体には「想念」が蓄積される。

第5身体以降については、もう個人のものとはいえず、集合意識
みたいなもので、他の人や他の生物、宇宙全体とつながっている。

肉体が死ぬと、アストラル体以降の微細な身体は肉体を離れて
目に見えない波動として生き続ける。(これ幽霊ってこと)

その後、その微細身は、自分に適した新しい体を見つけ
その中に入って、新しい身体として転生する。(輪廻転生)

その輪廻転生は、ニルバーナ体を実現し、7つの身体をすべて
超えるまで繰り返される。

というふうになっているのでは?と思うわけですが

いくら7つの身体や輪廻転生の理論を論じたとしても、
実際にそれをこの体でもって感じていなければ意味がないわけで

幽体離脱した、とか過去生を思い出した、とかの経験がない
私としましてはあくまでこうなってんじゃね?というお話です。

でも、これを探究するのはほんとにワクワクしますね。
一回死んでみたくなるくらい(笑)

探究それ自体を楽しむってのもアリだと思うよ。

OSHOのこと

1984年、私は社会人になり、東京で暮らすことになった。

若い人にはよくあることだと思うが、その頃はこれから何十年も人生を生きていくにあたって、

・自分は何をしていけばいいのか? とか
・人生の意味とは何なのか? とか

何らかの答えをを求めていた時期だったと思う。

それで、どうなったかというと、

まず渋谷を散歩中に声を掛けられ、連れていかれたのが、統○教会だった(笑)

当時は原理研とも呼ばれていて、神の原理を研究するということで、

ビデオを見せられたり、合宿に参加させられたりして、

ある段階で・・・

この人がキリストの生まれ変わりで現代のメシアです~!っという形で出てくるのが、例の韓国のあの方だった。

私はその方の顔を見て、「こりゃ違うな!」と思い、目が覚めて抜けました。

思い返せば、その後も創○学○に入ってみたり、ハ○ー・クリ○ュナの寺院に行って踊ったり、いろんな宗教の集会に顔を突っ込んだりしていました。

そういえば、当時は紀伊国屋など大手書店では精神世界コーナーができていて、オ○ム真理教の本なども置いてあって、

立ち読みでオ○ム教祖の顔を見た時も、「こりゃ違うな!」思って入り込まなかった記憶があります。

教祖の顔って大事ですね。そこに全部出るから。

一般的に信者を勧誘して大きくなった宗教団体の教祖で、悟った顔の人はいませんね。

本物なら勧誘などしなくても、人が集まってくるはずだから。
勧誘するということは、きっとお金儲けが目的なのでしょう。

私も統○教会では、6万円の印鑑買わされました(笑)

数百万つぎ込んだ人も知っています。
目が覚めたら、泣いたでしょうね。

人間って簡単に騙されてしまうんですね。
純粋な人ほど、騙されやすいんじゃないかなぁ。

そんな中で、会社の同僚が貸してくれたのが、OSHO(当時は、バグワン・シュリ・ラジニーシ)の本だった。

同僚が貸してくれたのは「愛の錬金術」だったと記憶しているが、統○教会などに引っかかってモヤモヤしていた私には、OSHOの本はまさしく衝撃だった。

何だこれは!ガーン!
愛、瞑想、存在、悟り!
この人は知っている! と思った。

そこで、すべてが変わった。

存在の詩、TAO永遠の大河、虚空の舟、究極の旅、般若心経、オレンジブックetc・・・

当時、日本語訳で出ていた本はほとんど読んだ。
それからしばらくは、OSHOの本以外は読みたくなかった。

仏陀、キリスト、スーフィー、クリシュナ、老子、荘子、禅etc・・・

OSHOは世界中のあらゆる宗教・覚者について知っているんじゃないかと思うほど、広範な講話を弟子たちに語っていて、それがたくさんの本になっています。

Osho
Osho

OSHOはいったい何者なのか?

彼が善人なのか悪人なのか私は知りません。
ただ、彼は私を超えた存在なのはわかります。

彼に対する私の感情は、例えて言うと、

ビートルズが好きとかローリングストーンズが好きとかいうのと
同じ感覚で、「OSHOが好き☆イエ~イ!」なんですよね。

私にとってOSHOは精神世界のアイドルなのかもしれません。

好きなのはどうしようもないね。
きっと彼の目にやられたんだと思う。

最近は、悟りブームみたいで、「いまここ」とか「非二元」とかネットでも話題になっているようですが、

OSHOはすでにそのことについて語っていました。

私はエックハルト・トールも好きですが、
彼の話は基本的にOSHOと同じです。

たとえ話までOSHOと同じ話が出てくるので、
きっと彼もOSHOの影響を受けていると思います。

日本人では、阿部敏郎さんが自らOSHOの影響を受けたことを言っています。

現在活躍している精神世界の教師たちの多くは、何らかの形で彼の影響を受けているのではないでしょうか。

OSHOは、1990年1月19日にこの世を去りましたが、彼は死んではいないのです。

今ある探究者たちの意識の底として生きているのです。

私は、実際に肉体として彼に会ったことはありませんが、1993年4月26日にテイク・サニヤスしました。

それから、彼はずーっと私の中にいます。

OSHO  Love.

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阿部敏郎さんがOSHOの本を勧めていて、再販されているので、ぜひ読んでね。
amazon OSHOの本

YouTubeでもOSHOビデオがたくさん出ていて、数十万とかアクセスあるみたいです。
いい時代になったものです。

一番好きなのはやっぱこれかな。笑いの神が降りてきてるヤツ。日本語訳付き。
OSHO: You Have Not Known Total Chaos ? Just Wait…