般若心経

般若心経について、ちゃんと勉強したことないので(笑)
勉強を兼ねて書いてみます。

般若心経の成立は5~6世紀頃らしいです。ということは、お釈迦様没後に、釈迦の教えをまとめたものの一つということですね。

心経(Heart Sutra)というくらいだから、まさに釈迦の教えの中心部分を短いお経にまとめたものです。

7世紀に入って、三蔵法師玄奘がインドから中国にお経を持ち帰り漢字に訳して今のような形になったと言われています。

その後、日本に伝わり、天台宗・真言宗・禅宗などでは主要なお経として、盛んに唱えられているようです。

そう言えば、ウチ猫のコジローお葬式でも般若心経となえてました。それくらいポピュラーなお経ということでしょう。

まずは、習うより慣れろということで、般若心経を3回繰り返し唱えてから15分間の無に入る瞑想ビデオを作りましたので、やってみてくださいねー。

般若心経で何を述べているか?ということですが、

超簡単に言うと、この世は「空」で実体は何もない。

般若の知恵でそれを見抜けば、心のわだかまりは消え、

恐怖も苦もすべて取り除かれて、涅槃へレッツゴー!

あぁ、めでたし! ほーい!  って感じです。

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以下は、玄奘訳と私の解説です。解説は、勝手に直感で書いてますので、たぶん仏教的には正しくありません(笑)

かんじざいぼさつ
観自在菩薩
(観音菩薩が、)

菩薩(ボーディサットヴァ)とは、悟りに近づいてる人のこと。

ぎょうじんはんにゃはらみたじ
行深般若波羅蜜多時
(深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)

般若波羅蜜多とは、深遠な知恵ということだけど、
しお的には、自分が外れたときに降りてくる気づき
全体の意識のこと。OSHOは瞑想と表現していました。

しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空
(人間の五つの構成要素がいずれも空であると見極めて、)

五蘊とは色・受・想・行・識の5つの働きの事
色・・・形象。形として目に見えるもの
受・・・感受作用。感じること
想・・・表象作用。思い浮かべること
行・・・意志作用。行動を決めること
識・・・認識作用。心で認識すること

例えば、イチローが試合で打席に立った時に、
まず相手ピッチャーの投げた球を見て(受)、
外角のカーブや!て、球筋を予想して(想)、
実際にバットを振りだして球に当てる(行)、
飛んだ打球を見てヒットやと認識する(識)

みたいなことだけど、これらはすべて実体はなく、
起こっては消えるものであるってことです。

どいっさいくやく
度一切苦厄
(すべての苦しみを取り除かれたのである。)

すべては空なのだから、苦しみも空だということですねー

しゃりし
舎利子
(そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、)

舎利子(シャーリプトラ)は仏陀の十大弟子の一人。知恵者。

しきふいくう
色不異空
(形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色
(実体がないからこそ形あるものとして存在するものである。)
しきそくぜくう
色即是空
(したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、)
くうそくぜしき
空即是色
(実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)

色不異空・空不異色・色即是空・空即是色
については、すでに科学で証明されてますね。

素粒子たちは、現れたり、消えたりする振動であり、
見る人の意識によって粒子に見えたり、波動に見えたりする。

モノには実体はない。形として見えているだけってことです、

じゅそうぎょうしき
受想行識
(残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是
(まったく同じことなのである。)

受・想・行・識にも実体はない。

しゃりし
舎利子
(舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想
(この世のあらゆる現象には、実体がないという性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅
(生じたということもなく、滅したということもなく、)
ふくふじょう
不垢不浄
(よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減
(増えることもなく、減ることもないのである。)

不生不滅・不垢不浄・不増不減

実体がないんだから、生じもせず消えもせず、
汚れたり浄じたり、増えたり減ったりしないよねー

ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色
(したがって、実体がないことの中には、形あるものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識
(感覚も念想も意志も知識もないし、)

色・受・想・行・識ぜんぶ、ないないなーい!

むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意
(眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法
(形・音・香・味・触覚・思考といった感覚器官の対象もないし、)

目耳鼻口体心、五感とマインド、ぜんぶないないなーい!

むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界
(眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。)

とにかく全部、ないないなーい!

むむみょう
無無明
(さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽
(無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死
(ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽
(老と死がなくなることもないことになる。)

無知も老死もなく、それらがなくなることもない。
もともとないんだから、なくなることもないよねー

むくしゅうめつどう
無苦集滅道
(苦しみも、その原因も、それをなくすことも、その方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得
(知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故
(かくて、得ることもないのだから、)

ここらあたりになると、すべてはないんだけど、それは

無から現れて、この世界で表現され、また無に還ること。

生も老も死も苦も、無から現れた表現で、本質は無やでー!

無こそがすべてのお母さんなんやでーって、聞こえてきます。

ぼだいさった
菩提薩垂
(悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多
(知恵の完成に住する。)

知恵の完成とは、無こそがすべてである!
って見抜くことじゃね?

こしんむけいげ
故心無圭礙
(かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖
(さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想
(あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃
(永遠にしずかな境地に安住しているのである。)

そりゃー、無なんだから、恐れも誤りもないよねぇ~

さんぜしょぶつ
三世諸仏
(過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故
(知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提
(この上なき悟りを得るのである。)

大きな意識から降りてくる気づき(般若波羅蜜多)によって、

「すべては無であり、無がすべてである」と見抜いたときに、

涅槃(ニルバーナ)の境地に入り、この上なき悟りを得るのである

こち
故知
(したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多
(知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪
(偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪
(悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪
(この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪
(比較するものがない真言なのである。)

般若心経ってすごいんやでー。自画自賛?

のうじょいっさいく
能除一切苦
(これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚
(真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)

ほんまに、すごいんでっせー!
ほな、そろそろ知恵の完成いきまっせー!

こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪
(そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰
(すなわち次のような真言である。)

ここからはマントラだから、何も考えず無になって、
高らかに、言い放ちましょう!

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝
(往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
(完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提
(悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶
(めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経
(知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)

ボージ、ソワカ、あぁ、めでたし。ほーい!

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まとめ

般若心経とちゃんと向き合ってみた感想は、ほぼ非二元と一緒のこといってるなぁ~って感じです。

非二元では、私はいないって言いますが、般若心経でも、私の目、耳、鼻、口、体、心、五感もすべてないといいます。

私がいなくなって降りてきた大きな意識(般若の知恵)で世界を見てみれば、全てが空で移り変わること、無からすべては生じて消えてゆくこと、が明らかになります。

我々も生まれる前は無だったし、死んだら無になるわけですが、ただ一つ死なない永遠のものがある。それが無であるってこと。

全ては無から立ち現われた現象で、無こそすべての本性であるということ。色と空は無の二つの状態です。

よく一瞥体験とかで、不意にその無に入っちゃったとき、すべてがありありとわかるって言いますが、それは無がすべてであるからです。

無とは、何もないのではなく、全てであるということです。

結局、このお経は「無こそすべて」って言ってるんだよねー

涅槃(ニルバーナ)とは「全てである無」のことです。

さぁ、般若心経を3回唱えて、ニルバーナへいきましょう!

うほほほほーーい!

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最後までお読みいただき有難うございました(∩´∀`)∩

オマケ

般若心経 (OSHO本の訳)

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