狂気と覚醒

例えば

「私は神だ!、私は神だ!、私は神だ!」

と大きな声で叫びながら道を歩いたら、
病院送りかタイーホされるかだよね。

「私は神だ」という言葉には真実が含まれると思うけど、
世間ではそれを言うと狂った人だとみなされます。

同様に

「私はいない、私はいない、私はいない」

といいながら歩いていたら、世間では
やっぱクレイジーなヤツだと見なされますね。

非二元の「私はいない」「時間はない」「距離も空間もない」ていうメッセージは世間から見ると十分にクレイジーですよね。

なぜなら、世間では「私はいる」「時間も距離も空間もある」と思っているので、反対の関係になってしまっているわけですね。

世間から非二元を見ると狂気に見えるし、
非二元から世間を見ても狂気に見える。

どっちもこっちが正しいと思っている。

何でこうなっちゃってるんだろ?

最近、この問題解決するのどうしたらいいかでぐるぐるしてたんだけど、ボクの答えとしては非二元を押さえたうえで世間では私を演じて生きるというやり方でした。

だけど、それやってると自分が何なのかわけがわからなくなって、オレって何かおかしくね?ってなります。

OSHOは、勇気をもって狂気か覚醒か究極の地点に行きなさいと言いました。

白隠和尚のお墓のまわりには、
たくさんの若い修行僧のお墓があるそうです。

この人たちは修行中に狂気か覚醒かの地点に行って
狂って死んじゃったんじゃね?ってビビります。

だけど、菜穂ちゃんはいつも究極のメッセージを言い放ち、
ケロッとしてます。狂った様子もありません。

しかも、カワイーキレイー。なぜ?

多分だけど・・・

菜穂ちゃんは、「私はいない」とか「時間も距離も空間もない」ということを信じてるわけじゃないんだよね。
ただ、そうなだけ。

もう「私はいる」も「私はいない」もどっちでもいい。

「時間も距離も空間も」あろうがなかろうがどっちでもいい。

ただ、あるようにあるだけ。

何かを信じることが狂気でただあるだけが覚醒なんだよね。

「狂気と覚醒」への2件のフィードバック

  1. ほんとに面白いです。
    今日見つけてちょこちょこ最初の日から遡って読ませてもらってます。
    去年の記事あたりからぷっちゃけてきてて、笑いながら読んでます(^-^)
    そして実に分かりやすい♪
    記事にしてくださりありがとうございます。

    1. 返信、遅れてしまいごめんなさい。
      見ていただけると、やっぱ嬉しいですね。
      頑張って書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

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