「2019」カテゴリーアーカイブ

Jの衝撃、その後

衝撃のじゅんころギャザから2週間たっての感想です。

福岡でのリアル体験は、いわゆる一瞥体験と呼ばれるものだったと思うのだけど、感覚器官で感じる「体験」である限り、当然ながら消えてなくなります。

もう今は記憶の中です(笑)

 

その後の生活がどう変わったのか?と言われれば特に何も変わりません。

別に金持ちになるわけでもなし、ハッピーがいっぱいやってくるわけでもなし、日々普通に出来事が起こってるなって感じです。

体のほうも、寝違えて首が回らんとか、職場の階段登るのやっぱ疲れるとか、今まで通りで年齢なりです。

 ただ、ここ数年、血圧が高くてよく150超えて頭ボーッとなったりしてたのが、J後は121とか116とか最近なかった値が出たりするので、血圧が落ち着いてるようです。

Jのギャザは、高血圧に効く!(笑)

これは、言えると思うよー(笑笑)

 

表面的に起きることは、こんな感じで血圧以外はこれまで通りだけど、やっぱり何かが違うんだよねー。

うーん、それは何かというと、やっぱ、

Jが言う「これしかないでー!」が完全に納得できたってこと。

ほんとに当たり前に、目の前にある「リアルな世界」しかなかった。

一瞥体験だろうが、日常体験だろうが、体験するものは全部、目の前のリアルとして現れてくる。

どんな思考も、どんな感情も、宇宙自体でさえ目の前のリアルとして現れてくる。

言ってしまえば、「リアル=宇宙自体」なんよ。

これですべて、これ以上はない。どんなリアルも他にはない。

だから、どこに行く必要も、何かを探す必要もない。

目の前にすべてあったのだから。

 

一瞥体験後に、体験をした私が残って苦しむとかよくあるみたいだけど

私が残ろうが、残るまいが、リアルは今もずっとあり続けている。

私ではなくて、これ(リアル)のほうに目を向けよう

今までもそうだったけど、これからもそう 

目の前のこれ(リアル)を生きるだけ。

 

それからね

じゅんころさんって、やっぱとんでもないよ。

ただ話を聞いてるだけで、一瞥を起こさせるなんて

そんな人、他にいる?

そうはいないと思うよ。

Jは、実は・・・

おばさんの仮面をかぶった大魔神なんじゃなかろうか

なーんて、マジで思ったりする 笑(^-^;

ピロエちゃんとのコンビでパワーアップしたのかもね

首絞めても愛してるそうだから(爆)
    ↑
(これもマジすごいと思う)

J&Pは、今やる気とパワーに満ちて、

何か(それ)の波に乗ってる時期だと思う。

ぜひ、会いに行かれることをお勧めします。

じゅんころギャザ

2019年11月16・17日 復活したじゅんころさんの福岡ギャサリングに参加してきた。

会場は博多駅近くの会議室みたいなところでした。

初めて見る「生じゅんころ」は、ビデオのときよりふっくらされてて、やっぱりどこから見ても普通のおばさん?にしか見えない <m(__)m>汗

だが、話している内容は、ビデオでも言っていた「これしかないでー!」

ほんとにぶれないで「これ」以外のことはぶったぎりまくる。

じゅんころはなんでもぶったぎる「ブッタギリアン」なんですな~ってのが最初の感想でした。

しおから見たら、この世界に現れているもの、私、体、思考、etc・・・

結局すべてがストーリーなんだから、それはそれで認めてあげたらいいのでは?

だって、世間一般の人は、私はいる、体はある、思考もある、と思って生きているんだから自分もそう思わないと生きていけないじゃん!

とか思ったりするのだけど、Jさんは私はいないし、体もないし、思考もない、と言う。

つまりは「これしかないでー」ってこと。

会場のほうは、Jさんが鼻くそやらうんちやらおっぱいやら下ネタぶちかましながら進むので、爆笑!爆笑!の連続なんだけど、

しお的には、Jさんは一切の妥協無し、ほんとに厳しい人なんだなと感じた。

一日目の最後は、例のチンメソをならって終了。

もちろん、その夜はチンメソ三昧。これもしお的には・・・

オカリナ吹いた後にばーっと無がやって来たりとか、ストップ瞑想でちょっと無に入ったりとかと感じが似ていて、

まさに、らくちんこな瞑想法!とか思ったりするけど、

Jさんは「絶対違う!」って言うと思うので、詳細は述べないです(笑)

だけど、チンメソすごく気に入りました。

ありがとう、Jさん~!

~~~~~~~~~~~~~~~

2日目は、チンメソの感想とか、質問コーナーとかありつつも、やはりJは、お得意の手をパーンって鳴らして、これしかないでー!

しおも初日に引き続いて、いろんな質問をしていたけど、後半部分になるとちょっと異変が生じてきた。

Jの話を聞いているうちに、だんだんと頭が働かなくなってきて、胸のあたりも変な感じがして、めっちゃ気分が悪くなってきたのです。

しばらくこらえてたけど、これ救急車とかよんでもらったほうがいいかも?くらいになりつつも、Jの姿をただ見ていました。

そしたら、そのうちにJが最初っから言っていた「これしかないでー!」のこれが最初っから目の前にあったのが、リアルにわかってきたのです。

そのリアルはあまりに明白で、疑いようもなくあるので、もう何も質問が出てこなくなってしまった。

いつも目の前にただリアルがあるだけで、もともとリアルしかなかった。

私、体、思考、感情、リアル以外のその他全部は、みんな後付けで最初っからあるのはこれ【リアル】だけやった。

ほんと当たり前のことを、Jはただ言ってるだけやったんやー!

個人とか社会とか世間一般とかそんなもんどこにあるねん!

それあんたが勝手に想像してるだけやろ!

パーン!鳴らしたら、パーン!しかないねん!

パーン!も後付けやねんけどな(笑)

Jは厳しくもなければ、優しくもない。

ほんと、ただシンプルな事実を言ってるだけやった。

ということがはっきりした。

そこで見たリアルは気づきでもなければ、悟りでもなければ、覚醒でもない。

ただ、ただ、リアルだった!!

そのリアルが現れたのは、Jがそこにいたから。

福岡で2日間、ずっと見ていたJの姿は、

これそのものだった。

Love. J & P

じゅんころ復活!

2019年9月、あの「らくちんこ道じゅんころ」さんが「JunCoro」として復活されました~~~ バンザーイ!!

じゅんころさんは、2015年~2017年あたりの非二元ブームのころ、大阪のお話会ビデオがYoutubeにアップされて評判を呼び、

あのスピリチュアルTVでのテディさんとの名作ビデオが多くのスピ系オタクたちに衝撃を与えたのであります。

しおもこのビデオに衝撃を受けて、これの音声ダウンロードをスマホに入れて何百回も聞いたりしておりました。

ところが2017年の3月頃、突然にじゅんころさんは活動を停止してしまい、ついに1度もお会いすることなく、しおのじゅんころ熱も立ち消えになっておりました。

ところがまた突然に、じゅんころがJunCoroとして活動を再開したとの連絡が入り、もうすでに大阪や東京ではギャザリングなるものが行われているもよう。

さらに朗報は、11月16日(土)、17日(日)には、なんと九州・福岡にやってくるとのこと。

うっほほーい!こりゃ行くしかねえべーってことで、しおは申し込みも済ませました。

【11月福岡 申込受付】JUNCOROギャザリング in 福岡

上のリンクから申し込みできます。あなたも参加しましょう(笑)

復活したじゅんころさんと何回かメッセージのやり取りをしたけど、

なんかねぇー、すげぇ気合が入ってる感じがするんだよねー

伝えたいことがあふれてるって感じ。

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【最近のJunCoroのFB投稿】

私たちの本来の姿は、気づきだとか意識だとか、
覚醒すれば現実を創造できるとか、

二元と非二元、色と空の世界があるとか
幻想の私がいる限り苦しむとか、

悟ったら楽になるとか、
今年は集合意識がなんだとか、

そういうジョークにつきあって
必死になにかを追い求めて苦しむのは
終わりにしましょうという話。((´∀`*))ヶラヶラ

そしてこれもまたジョーク笑笑笑

あ、追記、傷ついた心もなければ蓋もないよ。笑笑笑
ほ、ん、ま。((´∀`*))ヶラヶラ
悟ろうとしてする瞑想、坐禅、チンメソも。意味なし(爆)

おやすみ(*´∀`*)

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ね、スゲェ気合入ってね?

前からそうだったけど、ぶった切りまくってる。

じゅんころ節 いよいよ初体験

めっちゃ嬉しいんだけど・・・

めっちゃ怖い気もするんだよねー

OSHO禅タロット

久しぶりの投稿です。

最近は、仕事上の事でいろいろな変化が集中してやってきて、ばたばたと忙しかった。

こういうときこそ、起こってくる出来事に惑わされず瞑想的でいようと思うんだけど、なかなか難しいね。

仕事上のこととなると、やっぱ生活もかかってるし、心配事が出てきたりもする。

この心配事も楽しんじゃえばいいんだけどねー

で、ここ2ヶ月ほど助けになったのが、OSHO禅タロット

  

<Amazon> 

タロットというと占いとかをイメージすると思うけど、これは「気づき」のタロットです。

しおの使い方としては、1日に1度、1枚引くだけ。
おー、シンプル!ってか、使い方よう知らんし(笑)

出てくるカードには、すべてOSHOの気づきの言葉がついているので、必ず何かに気づくんだよね。

その意味では、ハズレのないカードです。

全部、当たり!!! さすが、OSHO 笑笑

それから、不思議なのは出てくるカードは自分の想いとシンクロしてくるってこと。

攻撃的なマインドになってるときには、FIGHTINGが出てくるし、

ちょっと物事がうまく行ったりすると、SUCCESSが出てくるし、

無について探求してたときは、やっぱりNO-THINGNESSが出てきたし、

このタロット買って最初に1枚引いた時、The Masterが出てきたときは、ちょっとビビったけど・・・


占いというのは、未来が決まっていることを前提に成立するものだと思うので、

タロットを引くときも出てくるカードは決まっているのかもしれません。

OSHO禅タロットは、マインドとシンクロして出てきたカードに、

OSHOの気づきの言葉がさらにシンクロして、

より瞑想的なスペースへと導いてくれます。

人生ゲームの楽しみ方として、こういうのも面白いよね。

七身体の神秘

肉体が生きているうちに、7つの身体の問題を何とか解決したくて(笑)OSHOの本を読み直してみた。

7つの身体とは、人の身体は目に見える肉体だけではなく、目に見えない微細な波動体が重なって構成されているというものです。

OSHOによれば、人間がその本来の資質通りに、順調に成長していけば、7年ごとに次の身体→次の身体へと発達していくのだそうだ。

1.肉体 生涯の初めの7年間は肉体的な身体だけが形作られる。
     ↓
2.エーテル体(生気体) 7歳から14歳までに発達する
個人の感情が成熟する。感情の強烈な形である性的成熟が14歳で達成される。
     ↓
3.アストラル体(星気体) 14歳から21歳までに発達する。
理論や知性、思考力。教育や文明、文化から生まれてくる。
     ↓
4.メンタル体(精神体) 28歳までに成長するが、ほんの少しの人しか発達させれない。夢は第4身体の出来事で、想像力が発達する。催眠術、テレパシー、透視など普通にはない経験をする。可能性とともに危険もある。
     ↓
5.スピリチュアル体(霊体)35歳までに発達する。
第5身体を見出したものはごく少数。アートマンへ到達した者、霊的な人と呼ばれる。第5身体で止まってしまう者は神を否定する。ブラフマンはないと言う。ここで止まってしまう者も多いが、まだ先がある。
     ↓
6.コズミック体(宇宙体) 自然に発達すれば42歳で到達する。アートマンを手放す覚悟ができたときに6番目の身体に入る。
     ↓
7.ニルバーナ体(涅槃体) 49歳で到達する。何の身体ももたないニルバーナの、体であり体なき状態、無形の状態、ただ空だけが残る究極の状態。ニルバーナという言葉は炎の消失という意味を含んでいる。

 

OSHOの言葉を自分なりに解釈すれば、

まず肉体が生まれ、肉体を囲むように感情(エーテル体)が発達し、社会で生きていくにつれて思考や知性(アストラル体)が発達する。

ここまでは、通常の人間が誰でも到達する領域だが、第4身体(メンタル体)以降はヨーガや瞑想などの修行によって意識的に発達させていく領域になる。

第4身体を超えれば、第5身体でアートマン(真我)を発見し、第6身体のブラフマン(全一神)へと進み、究極の「無」へと到達する。

と言うことになると思う。

尚、OSHOは7つの身体に分類するが、他本によっては5分類であったり、アストラル体が感情で、メンタル体が思考と書いてあったりするものがあるので、明確にきっちり分けられてるものではないです。


そして、OSHOは言う。

身体が7つあるように、チャクラ(エネルギー中枢)も7つある。各チャクラにはそれぞれ対応する身体があり、ある特殊なかたちで繋がっている。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 7image-300x158.jpg です

●7つのチャクラと7つの身体の対応

1.ムラダ-ラ・チャクラ(→ 肉体と繋がる)

このチャクラに先天的に備わっている基本的な機能は、肉体の性的衝動だが、瞑想によってブラフマチャリア(性超越)が達成される可能性が眠っている。

2.スワディスターナ・チャクラ(→ エーテル体)

このチャクラに元来備わっている機能は、恐怖、憎しみ、怒り、攻撃性だが、コインの裏表のように反対側には、愛、慈悲、勇気、優しさが隠れていてそれらに変容させることができる。

3.マニピュラ・チャクラ(→ アストラル体)

マニピュラには疑いと信頼の二つの顔がある。疑いが変容されると信頼が生まれる。疑いが究極まで行くと疑いすら落ちていく。ここで「信」が生まれる。

4.アナハタ・チャクラ(→ メンタル体)

この次元の先天的な特性は、想像と夢見だ。想像力が完全に発達すると決断力、意志力となる。夢見が完全に発達すると超常的なヴィジョンに変身する。夢見の能力が完全に花開いた人は、目を閉じただけで様々なものが見える。

5.ヴィシュッダ・チャクラ(→ スピリチュアル体)

この次元では二元性がなくなる。男性と女性の違いがあるのは第4身体までで、それ以降は無くなる。ここには非二元的で唯ひとつの潜在能力しかない。第5身体へ入った人は無意識的なところが完全になくなる。夜も実質上は眠らなくなる。つまり睡眠を取るには取るが、眠っているのは肉体だけになり、内側で誰かが常に目覚めている。

6.アジナ・チャクラ(→ コズミック体)

ここにはどんな二元性もなく、存在や実存を体験する。「私は在る」はここでやっと失われる。「私」は第5の次元で失われ、「在る」は第5の次元を超えるやいなや消え去り「在るということ」が感じられる。もはや私の存在ではなく、ただ存在だけがある。

7.サハスラーラ・チャクラ(→ ニルバーナ体)

このチャクラについては何も語りえない。何かを語っても大半が誤りとなってしまうだろう。第6身体でブラフマン、究極の実存を体験した後もまだ旅が残っている - 非実存へ、非存在への旅だ。今や「私はブラフマンだ」の状態もまた捨て去らねばならない。最後のジャンプへの準備ができてこそ、人は存在、そして非存在をも知る。

~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、7つの身体と7つのチャクラの繋がりがわかったとして、我々探究者はどうやってそれを達成するの?ってことになるわけだけど・・・

うーん、わからんけど(苦笑)

まぁ、ヨーガでも気功でも瞑想でも座禅でもなんでもいいと思うんだよねー

要は、「見ること」「観照」を続けること。

覚醒した人とは、常に観照している人のことだから。

チャクラを順番に意識していく瞑想法があったけど、そういうのもいいかもしれません。

 OSHOチャクラ・ブリージング瞑想

気功をやっている人は、だんだんと「気」が見えてくると言います。

私も若い頃、公園の木々がゴッホの絵みたいにオーラに埋まって見えるという時期があったけど、次なる体の顕現というのはそんな形で現れてくる気がします。

7身体も7チャクラも通常は目に見えないものだけど、これもまた波動(素粒子の運動)なので波長が合えば「見える」のかもしれません。

メンタル体以降の身体は、未知の探検そのものだから、何が起ころうと
大いなる気づきをもって 、ワクワクしながらやっていきたいと思う。

この肉体があるうちにね。

Love.

無に憧れて

前回の投稿で「あの世とは無である」と書いたけど、その続きを書きます。

無とは何かというと、通常は何もない空間を指しています。

例えば、身の回りにある、何もない透明な空間。

そこは無と呼ばれる空間だけど、まったく何もないということではない。

身の回りの無の空間は、窒素や酸素や二酸化炭素などの目に見えない物質で満たされている。

では、そういった目に見えない物質をすべて取り除いた空っぽの空間(真空)が無なのだろうか?

いやいや、どうもそうではないみたいです。

量子論によれば、真空の中ではごく短い時間に素粒子が現れては消えるという生滅運動を超高速に繰り返しているそうです。

真空中の様相は、常に素粒子たちが揺らぎながら沸き立っていて、その運動の中から物質が現れるとのこと。

なので、「無は万物を生み出す素」であるとか、「無は有である」とか言われるわけです。

だが、これは完全な無とは言えないと思う。

完全な無とは空間さえもなく、ゆえに時間もなく、ゆえにこの3次元空間を超えた高次元の無のこと。

だから、無には「3次元空間中の無」と「高次元の完全なる無」の2種類ある。

 さて、私は「あの世とは無である」と主張したわけだけど、

「死んだ後にあの世に還る」のあの世について最近直感的に感じるのは、

肉体が死んだあと「高次元の完全なる無」に還れる人はほとんどいないのでは?ということです。

誰かが死ぬとその人の「目に見える波動である肉体」は活動を停止し「3次元空間中の無」に還ります。

が、より微細な波動の微細身(アストラル体、メンタル体など:7つの身体参照)は肉体を離れて3次元空間中に残るのです。

仏教などで、死後49日間は魂はこの世に残るといいますがその通りだと思う。

死後の我々の微細な波動体は地上の近くを漂っていて、徐々に地上を離れて完全なる無に還ろうとする。

その時の我々の意識は、肉体を持たないので距離や時間の制限がなく、夢見のごとく思いが浮かんでは消えるを繰り返す。

そこは、量子論で言う「我々は世界の創造主である」の通りに思ったことが即実現する世界なので、

天国や地獄があると思ってる人は、天国や地獄を生きることになり、

善人と悪人がいると思ってる人は、善と悪の二極の世界をこの世と変わらずに生きることになる。

肉体を離れた後も、この二極の3次元世界に未練があったり、波長が合う何かがある場合は地上を離れられず、ここで輪廻転生を繰り返す。

だから、ほとんどの意識体は本当の「完全なる無」には還れず、地上(この世)の周辺で何世も同じことをやるのだと思う。

では、地上(この世)から離れて、高次元にある「完全なる無」に到達する人とはどんな人だろう?

言葉で言えば、覚醒した人ということになるだろうけど・・・

もう人とは呼べない、個人ではない、覚醒した意識

完全なる無と一体化した普遍なる意識

 

~~~~~般若心経~~~~~

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝
(往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
(完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提
(悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶
(めでたし。)
~~~~~~~~~~~~~~~

ここでいう彼岸が完全なる無であり、悟りそのものである。

完全なる無こそが、涅槃(ニルバーナ)なのだと思う。

やっぱり、憧れてしまうんだよねー

 

 

 

あの世とこの世

今日は、 あの世とこの世について考えてみた。

まずこの世というのは、今私たちがいるこの3次元世界のこと。

物質があり、空間があり、時間がある世界。

では、あの世というのはなんだろう?

あの世というのは、この3次元世界が現れる基になっている世界のこと。

今あるすべての源泉、 根本の世界のこと。

どんな大きな植物も、もとはといえば小さな種が変化して育っているように、この3次元世界も基になっている何かが必ずあるはずだよね。

岸根卓郎先生が、あの世とこの世を氷山に例えてわかりやすく説明されていた。

この図では、ずばり氷山がこの世で海があの世だと示しています。

氷山というのは海に浮かんでいる氷のことだけど、水面より上の氷部分は固体であり、水面より下は水と溶け合いながら液体である海とつながっている。

氷山も海も、基は同じ水なんだけど温度の変化によって液体⇔固体と姿を変える。

同様に、あの世とこの世も同じものが姿を変えたものだということです。

般若心経で言えば、色即是空の「色がこの世」で「空があの世」となります。

そして、あの世とこの世の境目でこの二つの世界の橋渡し役として活躍してるのが素粒子たちです。

素粒子たちの消えたり現れたりする運動によってこの世界は全て創られていて、もし素粒子がなかったとしたらこの世界もない。

だから、素粒子たちの運動は神の意志がこの世で表現されたものと言えます。

素粒子こそがあの世とこの世をつなぐ神の使いなのです。

よく死んだらあの世に行くというけど、そのことをこの図で言えば、氷として固まっていたものが、素粒子の運動の変化によって海に溶けていくということになる。

もともと海だったものが一時的に固まって氷山になったものがこの世であり、この世で存在していたものは必ず源泉であるあの世に還るということ。

今この世にいる我々もみんな全員、あの世に還るという法則があるのです。

だから、源泉である「あの世」を知ることが、この世での探究の重要テーマになるわけです。

では、そのあの世というのは具体的には何なのか?

これは私の直感だけど、あの世とは「無」のことだと思っています。

一般には「無」とは何もないということだけど、何もないということはすべてであるともいえるのです。

何故なら、この宇宙全体も始まりは無がゆらいでビッグバンが起こってできたのだと言われています。

私たち人間もそれぞれが誕生する以前は何もない無だったわけだし、身の回りの他のものもすべてそうです。

この世界のすべてのものは無から発生していると言えます。

ならば、大本の無には今あるすべてが含まれていたはずです。

そして面白いのは、数の流れでみると

・・・ +2,+1,0,-1,-2 ・・・

何もない 0(無) の先には符号が反転した1,2・・・がある。

無とは何もないということだけれど、その先には反転したすべてがあるといえるのではないでしょうか?

こういうことを見てみると、この世が終わって無に還った私たちは、反転した世界であるあの世に移るのだと思います。

さて、そのあの世とはいったいどのようなところなのだろうか?

時間もなく、空間もなく、全てがあるという高次な世界とは・・・

(次回に続く)

SOSを超えて

今年の入学式の祝辞で、在校生代表のS君が面白いことを言っていた。

彼が言ったのは「今ネットでSOSが流行ってる」ってこと。

SOSとは、そう.思えば.そうなる.ということらしい。

S → そう
O → 思えば
S → そうなる

これはまさに「世界はあなたが創造している」ということ。
あなたが「そう思えばそうなんです!」ってことですね。

幸せな人とは、自分は幸せだと思ってる人のこと。
不幸な人とは、自分は不幸だと思ってる人のこと。

やっぱり「そう思う」ということが「そうだ」ということだ。

これは、これまで探究してきた一つの結論だし・・・
量子論でもそう言ってるし・・・

こういうのが、若い人の間で流行ってるなんてすばらしい!
やっぱ新しい人たちの意識は進化してるんですねー

と思って、ネットでSOSを検索してみたら、山川紘矢さんのブログ が出てきた。

山川紘矢さんのブログ

あー、なるほど。仕掛け人は山川さんだったのですね。
山川夫妻はスピ界の大御所で、OSHO本のJOYやCourageを翻訳した方です。
何年か前にホオポノポノとか流行りましたね。

また「世界はあなたが創造する」ということに関して
奥深いメッセージを出してる人が津留晃一さんです。

津留晃一の世界

津留晃一の世界(Facebookページ)

facebookで津留さんの投稿をフォローしてるんだけど、彼のメッセージはハートにビンビンくるので、送ってくるのが楽しみです

彼は、コンピュータ関係のエンジニアだったそうですが、事業に失敗して体を壊しながらも探究を続けて、たどり着いたのが「我々は創造主である」ということ。

津留さんは、もうだいぶ前に亡くなっているのですが、彼が生きた時代よりもかなり先に意識が進化してた人だったようです。

引き寄せの法則、マントラ、 SOS 、etc・・・

これらは「あなたは世界の創造主である」ことをこの世で表現させるツールだと思います。

たしかに、これらには「人生を変える」パワーがある、

より良き人生を送りたい人は、どんどんやってみたらいい、

真理の探究としても新しい発見が出てくると思います。

だけれども、まだ「そう思う自分」がいるんだよね。

「私がそう思うと私の世界が変わる」という話なので、

まだ、主体と客体があり究極のものではないと思う。

それに対して・・・

非二元や禅は、「そう思う自分」に気づくところから始まる。

「そう思えばそうなる」と思っている自分に気づくと、

主体と客体を超えた「在るそのもの」にジャンプする。

7つの身体で言うと、肉体→エーテル体→アストラル体→メンタル体までがSOSが関わる領域で、

非二元や禅はそれから先のマインドを超えた領域に関わってると思います。

非二元では「人生なんてないから~」とか言っちゃうからね(笑)

禅でも、「生きるも死ぬもありゃあせん」今ここしかないから。

非二元の覚者は早死にする人が多いという話があるけど、

生きるも死ぬもないんだから当然そうなるのでしょう。

だから、これらはちょっと別ものだと思うんだよねー。

片や、ヌーソロジーや量子論など知力を使って意識を進化させようとするものもある。

ヌーソロジーでは5次元までのイデアを提示して世界の見方を変えようとする。

最新の量子論では、9次元までのモデルもあるようです。

これらは、3次元を超えた高次元から世界を見ることで意識を進化させようとします。

言ってみれば、SMS「そう見ればそうなる」ってことね。

まあねー、スピリチュアルな探究には、いろんな道があるけど、

究極は「在るそのものがある」これは変わりようがない気がするなぁ~。

怪奇現象2

最近、私の周りでは怪奇な現象がよく現れる。

私は、Facebook派でLineはあまり使わないのであるが、5日ほど前にスマホにLineのお知らせマークが付いていた。

line02

あれ、めずらしいな~と思って見てみると川田先生(仮名)という表示が出てきた。

クリックして開けてみたが、メッセージは何も書かれていない。

川田先生?うーんと誰だっけ。Lineで友達になった覚えがない。

川田先生という名前には、高校時代の担任の先生しか思い当たらないが、その先生は昨年亡くなっている。

何なんだろうなぁ~。Lineの仕組みはよくわからん。

と思いながらそのままにしていた。

それから3日ほど経って・・・

またLineのお知らせマークが付いていたので見てみると、今度は山野美代子(仮名)と表示されていた。

それを見て私は、えっ?!となった。

なぜなら、山野美代子さんは私の友人の妹さんでもう5年ほど前に亡くなっていたからだ。

私は大きく息を吸い、はーーっ、いったいこれは~

どういうことなのだろうか?

 

ちょっと冷静になって、事実を確認してみる。

亡くなった人から無言のメッセージが2通続けて来た。

これは、純然たる事実である。

 

以前の私なら、ここで「わっ、こわっ!」とかなってビビるところであるが、

今の私はだいぶ進歩したのか「こわい」という感情は湧いてこない。

むしろ、ウェルカムである。うほほほ。

川田先生と山野美代子さんに会って今どうしているのか話をしてみたい。

あの世はどんなところで、こっちとどっちが楽しいのか聞いてみたい。

どのみち私もそっちへ行くのだから、前調査としてちょうどいいじゃんくらいの感覚である。

量子論的に言えば、今回の現象は量子テレポーテーションにあたるから別に不思議じゃないのよ。

 

私はもうすでにあの世があることを前提に生きてるのかも知れない。

この世という言い方自体が、この世以外の世界(あの世)があることを示している。

実際のところ、あの世があるから、この世もあるんだよね。

人は、あの世でもこの世でも、同じことやるんじゃないかな。

今この世にいる人は、死んだら全員あの世に行くわけだから、あの世も同じメンバーだよね。

だったら、この世と何も変わらないはずだ。

いい人もいれば悪い人もいるだろう。

いいことも起これば、悪いことも起こるだろう。

どっちもいい波動と悪い波動で表現されたものだから。

ホントは波動にいいも悪いもないんだけど、人のマインドはそう見るからね。

 

この世とあの世をトータルに見れば、

怪奇現象って全然怪奇じゃないから怖がる必要は全くないよ。

あの世のことをもっともっと知りたいなぁ~

怪奇現象

昨日の夕方のことである。

そろそろ終業の時間になってきたので、一服しに喫煙室に行ったとき、心理学科の学生U君が震える声で私に話しかけてきた。

U君は窓際を指差しあそこに変なタバコがあるというのである。

ん?喫煙室だからタバコがあっても普通やん思て窓際を見ると確かにタバコの箱がずらずら並んでいた。

それぞれをよくみると、かなり古いものらしく外箱はよれよれになっていて賞味期限が切れて2,3年たったもののようである。

数えると全部で10箱あった。

ラーク、メビウス、セブンスター、わかば、スピリット、マルボロなどなど・・・全部異なる種類のものである。

わざわざ種類の異なるものを10箱揃えて置いてあるというのも珍しいことではあるなぁ思いつつラークの箱を開けて私は軽く衝撃を受けることになった。

なぜなら、ラークの中にはラークではないバラバラな種類のタバコが20本きちんと詰められているのである!!

えっ、なぜ?なぜなぜ?

なぜバラバラなんが入れてあるの?

なぜ、そんなことする必要があるの?

U君によれば、この窓際タバコ群は午前9時半頃に発見したとのこと。

であれば、前日の夜もしくは当日の朝早くにこの場所に置かれたことになる。

いったい誰が?

なんの目的で??

ここにこのようなものを

置いたのであろうか?

犯人は今どこで何をしているのだろうか?

謎は深まるばかりであった。。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

それから、1日が経過して、

私は思うのであるが・・・

いや失礼な話かもしれぬが、

これは、もしかして、

私は・・・この私は?

もしかして?

 

U君にからかわれた?

 

ということなのであろうか。

????

すべてが謎のままである。