あはは。笑っちゃったんだけど、勘違いしてた。
ずーっと、OSHOは59歳で肉体を離れたと思ってて、今年59歳になった自分はついにOSHOのこの世年齢を超えるのだ!
これは、この世的、あの世的、宇宙的かつ個人的に記念すべきことなのである!
なーんて思って、せっせとOSHO瞑想に励んでたんだけど、よく考えたら、
OSHOは1931年12月11日生まれの1990年1月19日没で、1990年にはまだ誕生日来てないわけだから1990-1931-1=58歳で亡くなってたんだよねー。
ちゅうことは、すでに1年前にOSHO年齢を超えてたってことなのよー(笑)
アホみたいだけど、しおらしくていいかもね。
何事もなかったかのようにOSHO年齢を超えられたのだから。
あとは、やりたいことやって、死ぬまで生きるさ。
Love you. OSHO
OSHOとは別の話だけど、
1990年頃、太母(たも)さんに会ったことがある。
太母さんは、OSHOが亡くなる少し前、彼の体調が悪かった頃に、OSHOにパワーを与えたいということでインドのOSHOコミューンを訪問しました。
そこで、太母さんはエンライトメントした(悟りを得た)人として紹介され、OSHOから花が降り注がれました。
って、当時サニヤシンの間で話題になったことがあった。
その太母さんが、熊本の天草を訪問するという機会があり、何人かで会いに行ったことがある。
天草で見た太母さんは、その時すでに80歳を超えてたと思うけど、ボクには「永遠の少女」のように見えた。
彼女が前を通るとき、ボクは胸の前で手を合わせてちょこんと挨拶をした。
太母さんもこっちを見たんだけど、その時、彼女からすごい気が出ていて、それに圧倒されてボクは動けなくなってしまった。
動けなくなったボクに近寄ってきて彼女が手をとると、目を閉じた視界がオレンジ色に照らされて、光がパチッパチッと鳴った。
という、たぶん数分間の経験がある。
その時に何かが受け渡されて、今でもずーっと残っている。
言葉ではない「それ」の受け渡しってやっぱりあるんだよね。
そのことをOSHOは「コミュニオン」という言葉で表現してました。
太母さんは「黎明」でも大師として紹介されています。
大師とは、この世で悟りを得た後に肉体を離れ、あの世からこの世の人々を導く波動の高い霊のこと。
OSHO、太母さん、キリスト、ブッダ、クリシュナ、、、他、名前も知られずに逝った悟りの霊たち。
キリスト教では、彼らのことを「聖霊」と呼ぶようです。
この聖なる霊たちは、いつも私たちのそばにいて
ドアをノックして、コミュニオンしてくるんだよねー。
ノックの音を聞き逃さないように・・・