人生は苦である?

お釈迦様は、人生は苦であると言ったそうです。

仏教では、生・老・病・死すべてが苦なんだそうです。

でもねー、私の回りでは,

このブログの最初のころに出てくる恩師・井原先生は、現在85歳だけど、いつも死ぬのが楽しみだーって言ってらっしゃるし、

1年前くらいに、膵臓癌になった私の先輩Yさんは、ガンになってから人生がわかるようになった。ガンになってよかったーって言ってはって、最近の検査でガンが小さくなったって喜んでたし、

そういえば、3年前にウチの嫁さんもガンになって、井原先生のおかげで治って、ついでに夫婦仲もちょっとよくなったりして、

年齢を重ねてからのほうが、若い頃には出来なかった経験がいろいろできて、楽しさの深みは増すと思うんですよねー。

やっぱり、ものの見方で世界は変わるってことなのでしょう。

私の世界は、私が創造してるので、思えばそうなる。

苦しいと思って見れば、苦しい世界が創造され、
楽しいと思って見れば、楽しい世界が創造される。

おー、シンプル!

しおの理論(笑)によると、宇宙の始まりの時に、無が揺らいで出てきた波動が「愛」で、この世界はすべてが愛だー!

ってなってるわけでして、

「人生は愛である」ならわかるけど「人生は苦である」って言われると、なんか違うんじゃね?ってなっちゃうんですよね。

そこんとこ、もうちょっと説明すると、

間違いなくこの宇宙は、無から始まっていて、
その無と無に違いが出来て、最初の揺らぎが起こったときに、

何故その揺らぎが起こったのか? というと、

やっぱり何か嬉しくて、ワクワクしちゃったんだと思うのです。

ワクワクしたときは、うほほ~い!って体も動きますよね。

辛くて苦しい時とかは、気持ちも落ち込んでるので、部屋に帰って布団かぶって寝たいですよね。

落ち込んでる時って、あんまり動きたくはないですよね。

なので、やっぱ静から動への、最初の動きは、嬉しさの揺らぎ、ワクワクの揺らぎだと思うのです。

嬉しくて、ついはじけちゃった~!・・・みたいな。

その喜びの波動が、宇宙全体に広がってるので、

喜怒哀楽、生老病死などあらゆる現象が起こっても

その背景には喜び、つまりは愛の波動があると思うのです。

般若心経でも、

般若の知恵で世界をみれば、

色は空であり、五感も体も心もすべてなく、

結局、な~んもない!って言った後に

このお経を唱えて、一切の苦しみを取り除き、

ガテー、ガテー、って涅槃へ超えて往っちゃう

わけなので、最後は無上の喜びじゃん!

で、終わってるわけでして、、、

 

お釈迦様といえば、ゴータマ・ブッダ、

ブッダといえば、悟った人の代名詞。

 

非二元的に言えば、今ここだけがリアルで、

人生も苦も生老病死も、頭の中のイメージで、

よく見れば、ほんとは実在しない! ってことは、

当然、ブッダは100%見抜いてはったと思うので、

そんな人が、あの微笑みを浮かべながら、

人生は苦であるとかいうのかなぁ???

まさかねー。苦であるにしといたほうが、

信者が集まりやすいってことじゃないよねぇ?

ちょっと、苦に重点置きすぎじゃね?

とか思ったりするのです。

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いつも、苦のことばっかり考えてると、

苦を引き寄せちゃうよねぇ~

ほーい!

 

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