私の宇宙観

井原先生と出会って1年半が過ぎ、
私の宇宙観・世界観もだいぶ変わってきたと思う。

以前は、目の前にある「この世」のことしか
考えてなかったのでそれが全てだった。

今は井原先生の影響で、「あの世」も含めた世界観に
すっかり変わった。

今日は、現時点での私の宇宙観・世界観を書いてみようと思う。

そもそも、この宇宙は137億年前にほんのわずかの「ゆらぎ」が起こったことをきっかけとして、ビッグバンと呼ばれる大振動に発展しで形成されました。

太陽も、月も、地球も、我々人間も、「ゆらぎ」の産物なのです。

では、その「ゆらぎ」はなぜ起こったのか?

私は、それは神の想い(愛)が起こしたものではないか、と思っています。

この宇宙は神の想いから始まっているのです。

今現在もあらゆるところがその神の想いであふれています。

想いというのは、ある種の波動(振動、ウェーブ)です。宇宙のすべては波動です。

目に見える物質も波動、目に見えない魂も波動です。

人間が死ぬと肉体は動かなくなり朽ち果てていきますが、魂は目に見えない波動として残ります。

我々の本質は肉体ではなく魂という波動です。肉体は単なる乗り物です。

肉体から離れた魂は、あの世と呼ばれる世界の自分が行くべき場所へ導かれて行きます。

この世では、善人も悪人も、波長が合う人も合わない人も一緒に同じ世界に暮らしていますが、

あの世では魂の波長で引きよせ合い、波長が合う人たちのグループが形成され、違うグループの魂が交わることはありません。

あの世は、おおざっぱに言うと、3つのグループに分かれます。

この世において神の想いを知り、それに向かって成長し、悟り~光明(サマーディ)の境地まで達した人々が集まる賢者たちのグループ。

ここにいる賢者たちのことを私は神々と呼んでいます。

この世では、日々の世俗的な物事にとらわれて一生を送ってしまった人々。

ほとんど神の想いに気づくことがなく、悟りの境地にも達しなかった普通の人々。

一般人、凡者たちのグループ。

この世において、残念なことに神の想いに反するような一生を送った人々。

愛を知らず、人を憎み、苦しめ、だまし、おとしめることに一生を使ってしまった愚者たちのグループ。

この世は、死んだ後にあの世の賢者グループに行くための修行の場です。

この世で光明を得ることができずに賢者グループに行けなかった魂たちは、新しい肉体を見つけて輪廻転生を繰り返しますが、

賢者グループの神々たちは神と同化しているので、もう人間に生まれる必要はありません。

井原先生は、よくおっしゃいます。

死ぬのは悪いことではない。死んだ後にどこに行くかが問題なのだ。

この世では、死んだ先にどこに行くかの勝負をやっているんだ。

そして、この世とあの世とは別々のものではなく、
コインの表裏のようなもの。

片面がこの世、もう片面があの世。
あの世もこの世も同じ一枚のコイン。

この世とあの世が一体になって、
魂たちの波動の交流をしながら宇宙は動いている。

賢者クループの神々は、いつもそばにいて
「こっちへおいで」と手招きしているのです。

我々人間は、この世にて、神の想いに目覚め、
神々と波長を合わせて成長し、そして

光明を得て自らが神々となり、
まだ悟り得ぬ魂たちを神へと導いていくという、

神が創った素晴らしいサイクルのなかで生きている。

この宇宙は、ちょっとした神の遊び場だ。

神は、宇宙の中に、人間という自らの種をまき、
その種たちは成長して自ら神となり、

その波動を宇宙に還元して
より神性にあふれた素晴らしい宇宙を創っていく。

我々は、神の種としてこの世に生まれた、成長途中の神の子だ。

人生の目的とは何か?と問われたら、

「死んで神となること」と、今は答える。

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