気づくということ

最近思うんですけど、
自分に気づけるってすごいなぁ~って。

今日も、自転車で通勤してるとき、職場についたらこれやって、あれやって、って考えてたんだけど、

ふと、考えてる自分に気づいて、ふぁ~って無になるのです。

一日に何回かそういう瞬間があって、その瞬間、意識が個人から全体へシフトしてるんだよね。

その時は「考えてる自分を見ている者」になってるのです。

その見ている者は、無色透明な見えないからっぽの意識で、

いつも自分のそばに立って自分を見て、気づいている。

それ自体が喜びで祝福なんです。・・・そんな感じ

最近「見ている意識」というのが本当の自分である、っていうことにだんだん確信を持てるようになってきてるみたい。

一休和尚が言っていた「本来の面目」ってこれだよね。

本来の面目坊が立ち姿

一目見しより恋とこそなれ (一休)

本来の面目=見ている意識(本当の自分)

で、朗報なのが・・・

苦しい時に、苦しんでる自分を見ている者になれる。ってこと。

例えば、マラソンとかで長距離を走ると当然苦しいけど、その時も苦しんでる自分に気づけるんですよね。

すると、自分は苦しんでるのを見ている者であって、体でもなく苦しみでもないってことが認識されます。

苦しみと自分の間に距離ができるので、苦しさは減ります。

同様に、

自分が悲惨な状況にあっても、その悲惨な自分に気づける。

この場合も、悲惨な自分を見ている者が本当の自分であり、本当の自分は悲惨な自分ではないと認識できるのです。

さらに、その悲惨な自分をよく見てみれば、悲惨も自分もイメージであって、実体がないことがわかります。

悲惨な自分と言った瞬間に、想像上の悲惨イメージが作られ、自分と同一化され、思い込みの自分が出来上がります。

悲惨な自分なんていなかったのです。そう思い込んでただけ。

思い込みと同一化している時だけ、苦しみや悲惨さがある。

般若心経では、そのことを言ってるんだよね。

般若の知恵(見ている意識)で世界を見てみると

苦しみも恐怖も思い込みで実体はないことに気づく。

能除一切苦 無有恐怖 転倒夢想

実際のところ、この世は思い込みでできた夢の世界です。

人間の数だけ思い込みの世界が創造され、

それを本当にある現実の世界だと信じ込んで、

苦しんだり深刻になったりしている。

でも、本当の自分はすでにそれが夢だと知っています。

なぜなら、本当の自分は、気づきそれ自体だから。

思い込みの世界=思考の世界にハマってる自分に気づく。

それが見抜かれたら、めちゃくちゃラクになりますねー

もう落ち込んだりすることは、ほぼ無くなるでしょう。

あとは夢の世界に遊ぶだけだから。

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だからねー。

自分に気づけるってすごいことなんだよねー

ほーい!ほーい!

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