今日は、 あの世とこの世について考えてみた。
まずこの世というのは、今私たちがいるこの3次元世界のこと。
物質があり、空間があり、時間がある世界。
では、あの世というのはなんだろう?
あの世というのは、この3次元世界が現れる基になっている世界のこと。
今あるすべての源泉、 根本の世界のこと。
どんな大きな植物も、もとはといえば小さな種が変化して育っているように、この3次元世界も基になっている何かが必ずあるはずだよね。
岸根卓郎先生が、あの世とこの世を氷山に例えてわかりやすく説明されていた。
この図では、ずばり氷山がこの世で海があの世だと示しています。
氷山というのは海に浮かんでいる氷のことだけど、水面より上の氷部分は固体であり、水面より下は水と溶け合いながら液体である海とつながっている。
氷山も海も、基は同じ水なんだけど温度の変化によって液体⇔固体と姿を変える。
同様に、あの世とこの世も同じものが姿を変えたものだということです。
般若心経で言えば、色即是空の「色がこの世」で「空があの世」となります。
そして、あの世とこの世の境目でこの二つの世界の橋渡し役として活躍してるのが素粒子たちです。
素粒子たちの消えたり現れたりする運動によってこの世界は全て創られていて、もし素粒子がなかったとしたらこの世界もない。
だから、素粒子たちの運動は神の意志がこの世で表現されたものと言えます。
素粒子こそがあの世とこの世をつなぐ神の使いなのです。
よく死んだらあの世に行くというけど、そのことをこの図で言えば、氷として固まっていたものが、素粒子の運動の変化によって海に溶けていくということになる。
もともと海だったものが一時的に固まって氷山になったものがこの世であり、この世で存在していたものは必ず源泉であるあの世に還るということ。
今この世にいる我々もみんな全員、あの世に還るという法則があるのです。
だから、源泉である「あの世」を知ることが、この世での探究の重要テーマになるわけです。
では、そのあの世というのは具体的には何なのか?
これは私の直感だけど、あの世とは「無」のことだと思っています。
一般には「無」とは何もないということだけど、何もないということはすべてであるともいえるのです。
何故なら、この宇宙全体も始まりは無がゆらいでビッグバンが起こってできたのだと言われています。
私たち人間もそれぞれが誕生する以前は何もない無だったわけだし、身の回りの他のものもすべてそうです。
この世界のすべてのものは無から発生していると言えます。
ならば、大本の無には今あるすべてが含まれていたはずです。
そして面白いのは、数の流れでみると
・・・ +2,+1,0,-1,-2 ・・・
何もない 0(無) の先には符号が反転した1,2・・・がある。
無とは何もないということだけれど、その先には反転したすべてがあるといえるのではないでしょうか?
こういうことを見てみると、この世が終わって無に還った私たちは、反転した世界であるあの世に移るのだと思います。
さて、そのあの世とはいったいどのようなところなのだろうか?
時間もなく、空間もなく、全てがあるという高次な世界とは・・・
(次回に続く)