物質と意識

井原先生から貸してもらった本を読んでの感想です。

「まじめなとんでもない世界」
著者:奥健夫さん(物理学者)

量子とは物理量の最小単位のことで、1900年にドイツの物理学者プランクが光の量子を発見してから、量子論が始まったんだそうです。

時間と距離にも、これ以上は小さくならないという最小単位があって、

・時間の量子は、10の-44乗秒
・長さの量子は、10の-35乗メートル

それより小さいものは分からない。

いわゆる量子ぼやけの状態になっていて、人間の意識による観察で量子の収縮がおこり、そこに物があらわれる。

人の観察によって、ぼんやりとした可能性から一つが選ばれ、観察者の意識の中に物質として現れる。

ということは、人の意識がなければ、量子はぼやけたままで、物として現れてこない。

量子論的には、そいうこということらしいけど、

しお的(スピリテュアル的?)には、

宇宙があっても、認識する人がいなければ宇宙は存在しない。

「あなたがいてはじめて、宇宙は存在する」
「あなたが宇宙を創造している」

って思っていたので、別に驚きはしないよね。

*

それから面白かったのは非局在性ということ。

非局在とは、どこにでも存在可能ということで、この世界は非局在性や全体性をもつことが量子論でもわかってきたんだそうです。

つまり「宇宙が全体的につながりあっている」ということ。

これも、スピリチュアルの世界では、非二元、ワンネス、分離はないとか普通に言うので別に驚かないよね。

もしかしたら、スピリチュアル的な認識にやっと科学が追い付いてきてるのかな?って思ったりします。

そして、「一つの場所で自由に選んだ情報が遠く離れた別の場所の情報を決定する」ということもわかってきているそうです。

例えば、晴れた日に空を見上げると青空が広がっていて、その青空のずーっと先は宇宙の端なわけだけと、

今この場所と宇宙の端は、どんなに遠く離れていてもつながっている。

どこでも「今ここ」状態。距離は関係ない。

そこで、大空に向かって「腹減った~!」って想いを発すれば、その波動は宇宙の果てまで響いて、どこかでそれに対する反応が現れる。

もう嫁さんが今日の晩飯はカレーライス作る気になってるかも?

これは、仏教などでよく言われるカルマ(業)と同じことだと思った。

この世で悪いことを行えば、いつか悪いことが返ってくるし、
善いことを行えば、いつか善いことが返ってくる。

行なった行為に対して、必ず発生する反作用。
行く波と戻ってくる波。

やっぱ、カルマってあるんだねー、量子論で説かれてるしー。

先日、大分の78歳のボランティアおじさん(尾畠春夫さん)が山口で行方不明になってた男の子を山に入って救い出したっていうニュースがあったけど、

尾畠さんってすごい。波動の強い人なんだろうね!!

男の子を救い出したいって想いの波動が宇宙を巡って現象化したんだと思うよ。

善いことを行なって、カルマも浄化しまくりだしね。

久しぶりにマスコミからいい波動のニュースが流れたって感じです。

*

話を戻して、要するにこの本での宇宙観は

意識のような存在が、宇宙全体にいきわたっていて

3次元空間の「今」は、ぼんやりとしていて、
今のこの瞬間に、意識によって可能性が実現化していく。

という感じです。

つまり、意識によって物質が現れるということ。

極論すれば、すべてが意識だからね。

般若心経の色即是空の「空」は「意識」のこと。

意識が形として現れたものが物質なのだから。

そして、あくまで意識が先で、物質は後。

見えないものが本質で、見えるものは一時的な現象。

生まれる前は、みんな見えないものだったんだからね。

量子論とスピリチュアルな世界観ってすごく似ている。

そう思った!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。