これのこと

非二元話の重要語句?に「これ」がありますね。

ジョーイ・ロットの「これのこと」っていう本があったり、

じゅんころさんの名言「これしかないで~!」があったり、

いろんな人が「これ」について語ろうとしてきました。

これは語られ得ないものなので、語ってもこれにはならない

わけですが、しおから出てくるこれを書いてみます。

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これって何かと言うと、「源泉」のことです。

すべての始まり、すべての源のこと。

すべては、「これ」から生じるということです。

「これ」は、言葉や理解が生じる前にあるので、

言葉にすることもできず、理解することもできません。

これを言葉にしたり、理解しようとしたら

これではなくなってしまいます。

 

すべての前にあるものが、これ

言葉の前に、これ

理解の前に、これ

喜怒哀楽の前に、これ

愛と憎しみの前に、これ

色と空の前に、これ

二元と非二元の前に、これ

すべてが現れる前に、これがあるのです。

 

これは始まりであると同時に終わりでもあります。

この宇宙が無から始まって、また無に還るように、

これは、これから始まって、またこれに還ります。

これには、時間がないので、始まりと終わりが消え、

ずーっとこれが存在する、ということになって、

結局、すべてがこれなのです。

すべてがこれなので、じゅんころさんは

「これしかないで~!」というしかないのです ^_^;

 

これを知るためには、タクさんが言うように、

わかろうとせず、言葉なしで、ただある、しかありません。

何もせずに、ただあるということで、これと同化して

すでにこれであるということを知るのです。

この手法が、観照であり、瞑想です。

 

これは「無」という言い方もできます。

「無」とはすべてであるということです。

何かが、形として現れたとき、その形は、

ここからここまで、というふうに制限されます。

無であるときには、制限を受けないので、すべてです。

無であることは、制限なしの自由であることです。

 

これは、無であると同時にすべてであるという、

とても不思議で、面白い性質をもっています。

我々がいるこの世界も、これの性質どおりに、

様々な現象が現れていて、現れていない世界です。

現れるためには、現れていないことが必要なので、

この二つは、これとして同時に存在することになります。

 

般若心経の、 色即是空 空即是色、つまり

形は形なきものであり、形なきものは形である

現象は空であり、空は現象である

粒子は波であり、波は粒子である

二元は非二元であり、非二元は二元である

これらの二極性は、これとして一つになります。

すべては、そのまんま、これです。

 

これは、その根源性ゆえに、神として表現されます。

今ここに常にあるので、存在とも表現されます。

すべてであるので、全体とも表現されます

神も、存在も、全体も、「これ」です。

 

これは、無色透明なスクリーンとして今ここにあり

これ自身の波動を、これ自身のスクリーンに、

ストーリーとして映し出し、自らを表現します。

この時、これはこれ自身に完全に気づいているので

気づき(あるいは意識)としても表現されます。

スクリーンも、ストーリーも、気づきも、「これ」です。

 

とうしようもなく、真実で明らかなのは、

我々も「これ」だということです。

あなたも私もすべてが「これ」です。

誰も、これからは逃れることはできません。

なぜなら、これしかないのだから。

結局、これしかないで~!ってなっちゃうね(笑)

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追記.

自分がこれであるということが明らかになって、

それが本当に腑に落ちると、死はなくなります。

これは永遠に死なないから。

毎日、いろんな出来事が起きるけど、これに任せていると

不思議と落ち着くところに落ち着いていくって感じですね~

「これ」以上どうすることもないからねぇ~

ほーい!ほほーーい!

 

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