また、ぐるぐるアホ話ですけど、
非二元でよく出てくるシフトってヤツについて、
ぐるぐるしてみました。
どうも、そのシフトってヤツが起こると、
解放、解脱、悟り、サマーディ、ニルバーナ
とかって言われるすばらしい世界が待ってるらしい。
これを求めて、はや三十有余年。
瞑想とかもう一万回くらいやった(数えてないけど)
やるときは、気持ちよくてすばらしい時もあるけど
シフトは起こらない。シフトとは関係ない。
「瞑想一万回やったらシフトする」って決まってれば
良かったのにねぇ~。
そうはなってなかった。ボクが証拠(笑)
シフトがしたい、したい、したい!!
もう残りの人生、シフトしてから死にたいだけ。
地位も名誉もお金もいらない(もともとないけど 笑)
シフトだけがほしい、ほしい、ほしい!!
OSHOは
「あなたの準備が整うのを、それはいつも待っている」
エックハルト・トールは
「それは、神の恩寵として起こる」
菜穂ちゃんは
「それって、エネルギー的なこと あははっ!」
と言っている。
あ~っ、わからん!わけが、わからん!!
万策つきた。
っていうか、策そのものがない。
1.じゃあ、どうすればいいの?
↓
2.することじゃないから、どうもする必要ないよ。
↓
3.じゃあ、何もしなければいいの?
↓
4.そう何もしなければいいの。あるがままよ。
↓
5.じゃあ、あるがままってどうやってやるの?
→1へ戻って、無限シフト地獄グルグルへ
これを抜け出すにはどうしたらいいのか?
ココのメンバーのカキコとか見てるとどうもこういう事みたい。(間違ってたら指摘してね)
もともと個人はいなくて全体しかないわけだから、
当然、個人はシフトしないわけで、言ってみれば
全体が全体をシフトしてることになる。
つまり、シフトって全体の一人遊びのようなもの。
全体が、自分自身を見つけて喜んでるような
何かのゲームのようなもの。
さらに、起きることしか起きないわけだから
いつ、どこで、だれに起こるかなんてわからない。
なので、自分がシフトしたいって言ってること自体が
ありえないアホな話なので、アホもたいがいにせえよ
塩ちゃんちゃんというオチで終わる。
そう考えると、シフトを人生賭けて求めてきたんだけど
もうどうでもよくなってしまうんだよね。
・・・
もしかしたら、「シフトって無かったんだ」って気づく
ことがシフトなのかもしれんて最近思ったりするのです。