ヌーソロジーの探究を始めてしばらく経ちますが、現在、4次元対称性のカタチであるメビウス空間を日々の生活現場で探究してるところです。
今日は、メビウス空間における「人間の内面」と「人間の外面」について、現在の理解を書いてみます。
メビウス空間では、オモテ3次元の人間の内面(左側球)とウラ3次元の人間の外面(右側球)が重なり合っています。
通常の人間意識は人間の内面を外側の世界だと考えていて、人間の外面の存在は無視されているとオコツトは言います。
ヌーソロジーでは、人間の外面を見つけ出すことが4次元意識への移行であり、いわゆる悟りの境地への到達です。
私はこれまで内と外をはき違えていて、最初のころは梵宇宙(外側の宇宙)と我宇宙(内側の宇宙)を逆に書いていました。
メビウス球を理解することによって、内と外を逆転させることが今の探究テーマです。
まず、左側のオモテ3次元球が何を表しているのか?
しおの解釈では「自我の世界」となります。
私という自己がいて、私を中心に外側に世界が広がっている。
通常の人間の認識は、こうなりますね。
だけれども、果たして「私」という自己は本当にいるのか?
しおのこれまでの探究結果では、私というものは見つからない。
私とは、マインドが作り出した想像上の自己であるという結論です。なので、
私の外側の世界も想像上の私が作り出した想像上の世界です。
社会、町、市、県、国、海外、これらが私の周りに広がっている
と感じでいると思いますが、これらは実在するものではなく
マインドを通して想像している世界なのです。
オコツトは、これを人間の内面と呼びます。
対して、右側のウラ3次元球が何を表しているのか?
というと、目の前にある「あるがままの世界」となります。
こちらは「私」が見ている世界ではなく、へたな表現をすれば
意識がこの世界の境界から内側を観察しているって感じです。
宇宙からの視点、神の視点とも言えるかもしれません。
自我マインドを通さないあるがまま、悟りの世界です。
オコツトは、こちらを人間の外面と呼び、現在の人間には、まだ発現していないといいます。
これまで、見るということを、「外側にある光を目から取り入れ脳で内側に映像を創り出す」というような表現をしていましたが、これは人間の内面的な表現です。
人間の外面における見るということは、「別次元にある意識が、意識の物理的現れである目や脳を通して世界を創りだしている」という感じに思えます。
つまり、人間の外面において、今も意識が世界を創っている!
あくまで人間の外面が主体であり、人間の内面はマインドを通して創られた客体であるということです。
人間の外面こそが、本当の自分であり、創造の主体なのです。
そして大切なことは、主体である人間の外面と、客体である人間の内面は、本来同じもの、主客一致の関係であるということ。
メビウスの帯のように反転したもの同士がつながっている。
外側(梵)と、内側(我)は、同じものであるということ。
ここでもやっぱり梵我一如の世界なんですね。
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ヌーソロジーは「次元」という感覚をもたらしてくれます。
次元が上がるごとに、認識が変わり世界が変わる。
般若心経や非二元で言っている「無」というやつは、
この3次元世界ではなく別次元のものだと気づきが来ました。
4次元→5次元の探究もワクワクです。
ヌースの基本は遊びだからね。
半田広宣さん、川瀬統心さんに感謝です。
数学の公式みたいなんが出てきたら、あへ~ってなるけどね。