自分などない

井原先生は、よくおっしゃいます。

自分なんてない。
自分というものは、勝手に頭の中に作り上げた妄想だ。

人々は、ないものを勝手に作って、
勝手に悩んだり苦しんだりしている。

私もまったくその通りだと思う。
(先生と違って、私にはまだ自分があるので、
毎日もがき苦しんでるわけだが・・・)

自分というものを考えたとき、それは国境と似ていると思う。

地球儀でみる地球には、国境の線が引いてあって、
ここが中国、ここがインド、ここがロシアというふうに
国が分かれている。

ところが、宇宙から見た実際の地球には、国境の線などはない。丸ごとひとつの地球だ。

国境など本当はない。
国境というのは、人間が頭の中に作り上げた妄想だ。

神は、地球は創ったが、国境は創ってない。
国境は人間が勝手に創ったものだ。

地球は本当はひとつなのに、国境で国が分けられ、
戦争や紛争が起こっている。

人間はないものを勝手に作って、
悩み苦しんでいるように見える。

生まれたばかりの赤ちゃんには、まだ自分というものはない。

自分を持たない赤ちゃんは、宇宙の一部としてそこに在る。
宇宙とひとつになっている。

宇宙と赤ちゃんの間には何の線も引かれていない。

赤ちゃんは、宇宙(神)とつながっている。
だから彼はいつも幸せそうに見える。

ところが、親や周りの者が彼に名前を与え、あれこれと
・・・しなさい。・・・でなければならない。

といった類のことを教えだし、
だんだんと自分というものを持つようになる。

自分というものができると、彼は宇宙と分かれてしまう。

まるで国境のように宇宙と自分の間に
線を引いてしまっているようだ。

そして、自分ができると同時に他者というものもでき、
他者との関係で悩み苦しみが始まる。

もともと私たちは、自分の意思で生まれてきたわけではない。

もちろん父と母の愛の産物としてこの世に生まれてくるわけだが、父と母は子供を作る能力を自分で創ったわけではない。
その上の親もそうだし、またその上の親もそうだ。

すべての父と母は、適齢期になると子供を作る行為をするようにプログラミングされているだけだ。

そのプログラムを誰が創ったのかと考えると、・・・・神だ。
私たちは神の意思でこの世に生まれてきている。

この世に生まれた後も、私たちは自分では生きていない。

自分で息をしているのではないし、
自分で心臓を動かしているのでもない。

意識しなくても自然に息をするように、
心臓が動くように創られている。

さらに親切なことに、息ができるように空気を、
心臓が動くように食べ物が用意されている。

空気や食べ物がなければ、生きていくことは不可能だ。

私たちは、神の意思で生まれ、
神の意思で生かされている存在だ。

神の意思とは愛だ。

それが愛でなければ、空気や水や食べ物や美しい木や花や
恋人たちがこの星に用意されているはずはない。

この世界は、愛と呼ぶものでできている。
創造の根本のエネルギーは愛だ。

私たちは、神が出している大きな愛の鼓動のひとつとして、
今ここに在る。

この世のすべては神の表れなのであって、
自分などというものはどこにもない。

先生がおっしゃるとおり、自分というものは、
勝手に頭の中に作り上げた妄想だ。

私は以前に、これまでの人生で神などというものには出会ったことがないと書いたが、

自分という妄想から抜け出したところに、きっと神が待っていると感じている。

生まれたばかりの子供のようになって、また神とひとつになりたいと願っている。


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