何もない

昨日、気づきがやってきてすべてが崩壊した。

いよいよオレも気が狂ったかと思ったが
気が狂った人は、自分を気が狂ったと言わないよね。

だから、大丈夫と思う。笑いも出るし。あははー!

気づいたのは、何もないってこと。

山はない、川はない、木はない、花はない、
月はない、地球はない、あなたはいない、私もいない。

何もないし、誰もいない。

あるのは、意識と呼ばれるもの
これ、ある、無、全体、神・・・
名前は何でもいいんだけど、言葉で言えないもの。

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説明してみる。

例えば、まだ発見されていない星が一生を終えたとする。
その星はあったのだろうか? なかったのだろうか?

なかったのだ。

なぜなら、発見されてないから。
すでに一生を終えているので、もう発見の可能性はない。

発見されて初めて存在することになる。
発見されてないのであれば、その存在は想像にすぎない。

ネッシーは、いるのか? いないのか?
まだ発見されていなければ、いないのである。

このようにある対象の存在は、

それが発見され意識されたときに確定する。

違う言い方をすると、意識が全ての対象を創っているのである。

今、世界があると思ってますよね?

今この世界があるのは、

あなたの意識が周りの状況を感じて
世界を創り出しているからであり、
あなたの意識がなければ世界はない。

まだ、大丈夫。

笑いも出るし。あははー!

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違う角度から説明する。

すでにモノがないことは証明されていますね。

物質を、分子→原子→素粒子→ と調べていけば、その先には

モノと呼べるものはなく、現れたり、消えたりする運動がある。

その運動も観察者の意識によって粒子に見えたり、

波動に見えたりするそうです。

これは、ないモノを意識が創ってるってことの証明ですよね?

この世界のモノ全ては、不確かで揺らいでいて実体はない。

その実体のないモノから出る揺らぐ波のようなものを

私たちの意識が脳と感覚器を使って

視覚、聴覚、触覚などの感覚を発生させて

形や色を創り出しモノがあるように見せているってこと。

例えば、目の前に壁があるとする。

壁はモノなので実体がないのだが、
視覚を使って実体があるように見えている。

壁を叩いたり触ったりすると、
痛かったりゴワゴワする感じがあるので

まるで実際に壁というモノがあるように感じる。

さらに、その痛いゴワゴワという感覚をよく見てみると
その感覚にも実体はない。

感覚は、見えないし触れないしどこにあるのかわからない。

見えない痛い、ゴワゴワ感が湧き起こっているだけ。

だから、何もない(笑)

この世界は、まるで3D映像のようなもの。実体はない。

私達が見ているのは夢の世界。この世界は幻(マーヤ)

このように、本当はこの世界は実体のない幻なんだけど、

まるで実在するかのように感じて毎日生きてますよね。

苦しみも楽しみも喜びも悲しみも感じて生きてますよね。

何もないのに感じれる。それはそれで素晴らしい!

どのみち幻なんだからいろいろ感じた方が楽しいよね。

この世界は神が創った壮大な遊び場(リーラ)なのよ!

まだ、大丈夫?気は狂ってないよね。

笑いも出るし。あははー!

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たとえば、あなたの嫌いなAさんがいたとする。

Aさんの体はモノだから実体はない。Aさんはいない。

Aさんと呼ばれる現象が出している波動をあなたが感じて

Aさんという見かけ上の人をあなたが創り出している。

Aさんはあなたが創っている。あなたがAさん。

あなたは、自分が創ったAさんを嫌いだと言っている。

自分で自分が嫌いだといっている。あほらしくね?

あほらしいけど、おもしろい仕組みではあるよね。

そしてAさんを創り出しているあなた(自分)をよく見る。

自分というのも自分の意識が創り出している実体のない現象。

あなたもAさんもいない。誰もいない(笑)

じゃあ、何があるのだろう。

あるのは、意識と呼ばれるもの

これ、ある、無、全体、神・・・名前は何でもいい。

目にはみえない、姿も形もない。

無だけどある。ずーっとそこにあった。

生まれることも死ぬこともない。永遠そのもの。

愛といってもいい。それが、ほんとうのあなた。

Love.

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