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気づきのフシギ

今、自分に気づけますよね。自分以外にも、

あ、パソコンだ、机だ、スマホだ、コーヒーだ。

海だ、山だ、空だ、地球だー、宇宙だー!

よく考えると、何でもかんでも気づけますよね。

 

で、面白いのは・・・

誰かと二人で話してたら、二人で話してることを気づけるし、

大勢の中にいたら、大勢の中にいることを気づけるってこと。

 

誰かと二人で話している自分を気づけるということは、

自分以外の何かが自分を認識しているってことですよね?

 

その自分以外の何かが「気づき」ってヤツで、

それは、自分が気づいてるわけじゃなくて、

今ここにいつもあるものです。

 

神、存在、全体、意識、気づき、ある、これ・・・

言葉では何とでも言えるので、誤解されやすいんだけど

みんな同じものです。今日は「気づき」でいきます。

 

ダウンタウンの浜ちゃんの番組で、女子バレー日本代表

のセッターだった竹下選手が話してたことなんだけど、

ある試合中に不思議な感覚になり、会場の中全体が見えて

コートの選手たちの動きも手に取るようにわかるようになって

その試合は、上げるトスの全てがうまくいったのだそうです。

 

これは、気づきが自分から全体にシフトした例だと思うのです。

普通は、自分が気づいてると思ってますよね?

でもその自分というのは実は思い込みで、何かのきっかけで

自分がはずれて全体にシフトし、全部に気づけるようになった。

こんな経験は実は誰でもあるのかもしれないですねー

 

何かに気づく、何かを意識する、ということは脳でやってる

と一般には思われてますが、ほんとかなぁ~?

脳の役割というのは、何かを比較する、判断する、分析する

というものであって、気づきとかひらめきとかいうのは、

また別の働きではないか?と思うのです。

 

ノーベル賞もらった偉い科学者の方の話とかで、

「その発明はいつ思いついたのですか?」とか聞かれて

「お風呂にはいってたとき」とかあったと思うんだけど、

何もやってない、何も考えてない時に不意にやってくる

のが気づきやひらめきってやつで、脳は降りてきたその

気づきひらめきを比較・判断・分析する役目をするもの

なのでは?と思うわけです。

 

つまり、気づきがあって初めて脳は働くことができる。

気づきが降りてこないことには、比較も判断もしようがない。

っていうか、降りてくるもこないも、

いつも、今ここに気づきはあるんですけどね。

 

だって、あなたは今、気づいているでしょ?

 

今ここに、いつもあるんだけど、目には見えず、

それがないと、気づけないので、何もない。

この宇宙があるのも、気づきがあるからなんです。

宇宙に気づけなかったら、宇宙はないよねぇー(笑)

で、結局のところ、気づきとは何か?と問われても

しおにはわからないわけだけど(笑)、例えて言えば、

いつもそばに置いている、不思議な宝物って感じかな~

ほいほーい!

I Love 今ここ

宇宙というのは、どこにあるのだろうか?

宇宙の画像を見ながら、宇宙のことに思いを巡らせる。

ほー、この星まで何百光年離れているとか、

我々が住んでいる銀河系はとんでもなく広いとか、

宇宙の果てはどうなってるんだろう?とか・・・

ところで、銀河系の写真ってどうやって撮ってるんだろう?

この写真どこから撮ってるのかな~?って思ったりするけど、

地球も銀河系の一部なんだから、銀河系の外まで行って撮らないとダメだよね。

よく考えたら、人類はまだ火星にも行ってないので

こんな写真が撮れるわけないですよね。

どうも、よく見る銀河系の画像はイメージ図のようです。

つまり、我々が宇宙について語るときには、地球上の

今いるこの場所で宇宙のことを想像しているってことです。

ホーキング博士が宇宙について何かの新発見をしたとしても

彼は宇宙に行ったことないので、それは理論上の話ですよね。

やはり彼が今いる場所で宇宙のことを考察しているってこと。

 

じゃあ、宇宙ってホントはどこにあるんだろう?

頭で想像しているわけだから、人間の頭の中だよね。

ってことは、あなたの中に宇宙がある。あなたが宇宙です。

とか、スピ系の話ではよく言われたりするけど、

頭の中で想像される宇宙は、あくまで思考だから実体のあるものではない。

じゃあ、リアルな、ホントの、ホントの宇宙はどこなの?

と問われたら、やっぱり「今ここ」と答えるしかないなぁ~

宇宙のことを考えるときは「今ここ」で考えてる。

昨日のことを考えるときも「今ここ」で考えてる。

明日のことを考えるときも「今ここ」で考えてる。

よく見ると、全ての創造は「今ここ」で行われてる。

誕生も死も人生のすべてが「今ここ」で展開されてる。

今ここがすべての土台なんです。

今ここがなければ、すべては崩れ去ってしまう。

全ての基盤であり、見えないけどいつもあって、

人生ストーリーを映し出すスクリーンの役目も果たす。

今ここってすごい!すごい!

見えないけどすべてであるなんてヤツ他にいないよー

神といってもいいけど、召使いといってもいい。

そんな素敵なヤツが今ここなんだよなぁ~

じゅんころさんが言ってた「これしかないでぇ~」の

「これ」とは、今ここのことだよねぇ?って彼女に

聞いてみたいなぁ。タクさんにも聞いてみよかなぁ。

宇宙のこと考えてたら、今ここになっちゃったけど^_^;

I Love 今ここ

波動!波動!

結局ね。すべては波動なんだよね。

無から揺らぎが起こって、この宇宙が始まってから
宇宙全体すべてが波動で、いたる所あらゆる所に
波動エネルギーが振動しまくってるわけです。

海も山も、空も雲も、雨も風も、波動エネルギー!

あなたも私も、愛も憎しみも、波動エネルギー!

肉体も霊体も、思考も感情も、波動エネルギー!

目に見えるもの、目に見えないもの、すべてが波動~
物質も非物質もすべて波動! ぜーんぶが、波動!

例えば、何もないと思ってる空間にも光や音の波動が波打ち、
テレビやスマホの電波やらが無数に飛び回ってるわけです。

専門家でもないし詳しくないんだけど、ネットで調べたら

電磁波を周波数の低い方から並べると、

電波→赤外線→可視光線→紫外線→X線→ガンマ線となり

ラジオやテレビの電波が、MHz(メガヘルツ)レベル
スマホやWifi、衛星放送が、GHz(ギガヘルツ)レベル
赤外線~可視光線~紫外線が、THz(テラヘルツ)レベルで
もっとも周波数が高いガンマ線では1億THzなんだそうです。

ちなみに、単位については

M(メガ)= 10の6乗 = 100万
G(ギガ)= 10の9乗 = 10億
T(テラ)= 10の12乗 = 1兆

なので、例えばガンマ線は1秒間に1億兆回という
超とんでもない回数はりきって振動してるんですね。
(ガンマーちゃん、はりきりすぎじゃね??)

それに対して、

物質の周波数を分子レベルで見てみると
炭素が293Hzとか水素が3520Hzとからしいので
物質の元になってるモノの周波数は総じて低いようです。

どうも、目に見えない光や電波などの周波数は高くて、
目に見える物質の周波数は低いと言えそうです。

で、何が言いたいかというとですね・・・

目に見えず、何もない空間で、無数に、高周波数で、
飛び回ってる波動エネルギーの総体が意識と呼ばれるもので、

意識の一部分が、かたまりとなり、低周波数になって、
形となって現れたものが物質と呼ばれるものではないか?

つまり「意識が形となったものが物質である」と
言いたいわけです。

以前からの疑問で、「脳があるから意識があるのか?」それとも、「意識が形となったものが脳なのか?」というのがあったんですけど、どうも後者が正解のようですねぇー。

それから、電磁波ってなんやろ?って調べてた時に

電磁波は、電場と磁場の変化によって形成される波動であり、
現代科学において、電磁波は波と粒子の性質を持つとされる

とあったんだけど、この「波と粒子の性質を持つ」という部分を
波を空ととらえ、粒子を色ととらえれば、般若心経の色即是空と
ぴったり重なるんですよね。

色即是空、空即是色

色が粒子で、空が波とすれば

粒子は波であり、波は粒子である

我々が見ている現象界は、すべて波なんだけど、物としても現れる。でも、実体はなーんもなくて動きだけがある。面白いなぁ~

こうやって考えていくと、

この不思議な世界があるということが、しかも、自分がそれの
一部で、それそのものでもあるということが、とんでもなく
すごいことなんじゃね?って思ったりするのです。

結局ね。ぜんぶ波動なんだからさー、何か心配することある?

ってか、その心配も波動なんだけどねー。

波動! 波動! イェ~イ!(^’^)!

愛とは何か

愛とは何だろう?
ぱずかしい気もするけど、一度ちゃんと考えてみようと思った。

よく流行りの音楽とか映画とか愛をテーマにしたものたくさんあるし、スピリチュアル系の本にも、「愛」という言葉はよく出てくるので、愛というのは生活の中で結構よく目にする言葉なのかもしれません。

だけど、愛って何?って問われると答えるのは難しい。

まずはっきり言えるのは、
「愛」という言葉は愛じゃないってこと。

愛は言葉ではないし、モノでもないので、目に見えない。
なので、わかりにくいのでしょう。

愛が、目に見えるものだったらわかりやすかったのにねー。

また、愛にもいくつか種類がありそうです。
男女の愛、親子の愛、神仏の愛。これらは、ちょっとずつ
違うように思えます。

私みたいなおっさんからみると、若い頃の男女の愛っていうのは
「性的な欲求の発露に伴う感情」に他ならないと思うんだけど
以前は、それを愛だと思っていたし、今でも自分の中にあるみたい。

それも愛の一部と言えるのかもしれないけど、愛そのものではない。

一般に、結婚して子供が出来たら親子の愛を認識するようになり、さらなる精神的成長に伴って神仏の愛を希求していくのかも知れません。

そして、親子の愛、神仏の愛には慈悲という側面があるような気がします。

愛は、年を重ねるにつれて、肉体的欲求から精神的なものへと
変化していくものなのかもしれません。

このように愛については、いろんなことが言えるけど、それらは言葉であり解釈であって、愛の一つの表現ではあるけど愛そのものではありません。

では、愛そのもの、愛の本質とはなんだろう。

OSHOは「この世は愛と呼ばれるものでできている」と言った。
菜穂ちゃんは「すでに愛の中にある」と言っている。

これらの言葉が指している意味はなんだろう。

~ 私の理解では ~

137億年前に宇宙が誕生する前、そこは何もない無だった。

その状況は想像できますか?想像もできないですよね。
なんせ無なんだから。何もないので、想像のしようがない。

そこに、最初のゆらぎが起こった! 全てが始まった!

無同士がゆらいで、無に違いができ、波となって広がった。

このあたりの話はジュンコ・セレンディさんのがすごく面白いのでリンクしておきます。

【ジュンコ・セレンディ】 宇宙の出現のしくみ(全ての根源)


この最初のゆらぎを起こしたエネルギーが愛です!

言い切っちゃった(笑)

その波エネルギーは、ビッグバンとなって宇宙全体に広がり、
現在でもあらゆるところにある。

あなたも私も、思考も感情も、海も山も空も、全てが
波エネルギーです。

ついでに言うと、この世界のすべてがユニークなのは
波エネルギーだからです。

なぜなら、波であるためには、違いが必要だから。

無と無に違いが生じたように。

静と動、無と有、高と低、、、

波とは違いの無限の組み合わせです。

宇宙全体が波エネルギーであり、その波エネルギーが愛である。

そう考えると、

OSHOの「この世は愛と呼ばれるものでできている」
菜穂ちゃんの「すでに愛の中にある」が納得がいきます。

誰かが、何かを悩んでいて、苦しみの中にあるときでさえ
そこには愛の波エネルギーが常にあるのです。

愛はすべてであるので、思考によってどのようにも解釈可能です。

悩みや苦しみは、思考や感情であり、これも波エネルギーに他ならない。

愛は、悩みや苦しみとして表現されることさえ許しているのです。

もちろん、喜びとして表現されることも。ヤッホー!!

結局のところ、愛しかないのです。

そういえば、OSHOがよく言っていました。

ちょっとマインド(思考)をわきに置いてごらん

愛が喜びとして流れてくるから

Love☆

 

観照と瞑想

ここ最近は、観照をしています。

朝起きてから、まず大きな深呼吸をしながら、内側を見る。
肺やお腹に入ってくる息、出ていく息を見守る。

誰でも24時間常に息をしているわけだから、息は命そのもの。
息をしなくなったら死んじゃったってこと。呼吸はほんとうに大切だよね。

私がよくやるのでお勧めなのが、般若心経を数回唱えて
そのまま観照に入るという瞑想法です。

般若心経って、無やで~、空やで~、何もないで~って言ってるわけだから、これを唱えた後には無に入りやすい波動ができるので瞑想にGood!です。

YouTube行って般若心経で検索すると、いろんな方が唱える復唱用の音源が出てくるので、気に入ったものに合わせて唱えるといいです。

いつもやってれば自然に覚えて、暗唱もできるようになります。

~ 瞑想中の感覚です ~

最初は、まず呼吸を見る。

繰り返し、入る息、出る息。

それを見ている自分がいる。

まだ、主体と客体がある。

見ている自分と見られる息。

かまわずそのまま見ることを続ける。

だんだんと見ている自分が溶けていって、

主体と客体がなくなっていって、

見ていることだけがあるという状態が訪れる。

呼吸のことも忘れていき、

明るい光のようなものが見えてきて

光を見ている自分もいなくなり、

光そのものである状態になる。

そして、ただ光であるということにとどまる。

~ 割と深く入った時はこんな感じ ~

見ること(観照)から入っていき、
瞑想に移行して、ただあるということに至る。

言葉で言えることではなく、根拠もないんだけど、

言ってしまえば

「見ること」と「あること」は同じもの
という理解に最近はなってきた。

「見る」主体である自分はもともといないのだから、
「ある」しかない。

さらに言えば、「観照」も「瞑想」も同じもの。

「ある」を違う表現にしたもの。そんな感じなのよ。

まったくの主観で、だから何だって話なんですけどねー。

何故か、わけもなく嬉しいのです。

偶然か必然か

最近、私に起こった出来事としては、
竹下のブラックモンブランに2回も当たりが出たり、
チャリが前も後ろもパンクしたりとか

そういうの起こり続けているわけだが、

これらは偶然に起こっているのだろうか?
それとも必然なのだろうか?

そもそも、

今あるこの宇宙は約137億年前にビッグバンって始まって、
物質的・非物質的な出来事が無数に関連して起こりながら
織りなされて今ある状態になってるわけです。

そうすると、これからどうなっていくかってことは、
今まで織りなされてきたものが今までどおり織りなされて起こり続けていくわけで、起こることはもうすでに決まっている
と言えるのではないでしょうか?

半年後の月の位置と形が決まっているのと同じように、
実は半年後のあなたに起こることも決まっているのです。^_^

禅には、「好雪片々として、別所に落ちず」とあります。
(舞い落ちる雪のひとひらひとひらは、落ちるべきところに落ちている)

やっぱ雪片の落ちるところが決まってるんだったら、
ブラックモンブラン当たるのもタイヤがパンクするのも
決まってたに違いない。

ただ面白いのは、

宇宙的な視点で見たらすべては決まっているのだけど、この世のシャバ世界に住んでる個人には未来のことはわからない様に設定されているので決まってないのと一緒ってことです。

なので、この世の私にはモンブランの当たりもタイヤのパンクもわからなかった。

だから面白い!これすべてわかってたらつまらんよね。

で、結論的にまとめると

起こっていることは実はすべて必然なんだけど、
まるで偶然に起こっているように見えるってことになります。

さらに、もっと言えば

偶然とか必然とか言うのも一つの「見方」であって、
起こったことに対して後から意味づけしたこと。

ホントは

今起きていることはただ起きていて本来意味はないんだよね。

ただ起きていることだけがある。これしかなかった。

今ここで起きていることのむき出しの純粋性

それは、偶然も必然も超えているもの

これがすべて。パーフェクト!

—————————–

うーん、ここまでしか言えない。

 

見られるということ

最新科学の話で興味深いのが、素粒子たちは

「観察者が見ているときには整った形をしていて、
見ていないときにはバラバラとだらけてる」って話。

これ面白すぎる~。人間の行動と一緒なんよね。

先月、100人くらいの前で話をしなければいけない
場面があって、その時キンチョーして心臓バクバク、
呼吸パクパクなったけど、

これは人に見られてるからちゃんとしなきゃという
意識からでる反応なんだよね。

観察されてるときの素粒子と一緒。

そんな私も部屋で一人でいるときは、だらけて
ハナクソほじくったり、オナラぷーってやったり
してるわけだから、これは

観察されてないときの素粒子の振る舞いですね(笑)

人間も素粒子からできているわけだから
考えてみれば当たり前なのよね。

昨日「見ることのパワー」について書いたけど、
裏を返せば見ることは、見られる側にすごい影響を
与えていてお互いにキャッチボールしてるってことです。

例えば、テレビに出ている芸人さんとか、新人で
出てきたときはけっこうブサイクな顔(失礼)やなぁ~

って思ったりしてた人がたくさんの人に見られているうちに
整った顔になったりするのも

見られる意識が見る側に返してる反応かもしれません。

その他いろいろと納得いったことがあって、

家で座禅とか瞑想とかする習慣があるんだけど、
どうも一人でやるとだらけて効果が上がらないんだけど、

たまに座禅会で何人か集まってやるとすごい気持ちいいのは、
見られている意識が働いてたんやなぁ~

っと、これは間違いなくそう思う。

これから勉強とか、運動とか、オカリナの練習とか、
そういうのなるだけ人の目があるところでやろうと思った。

☆おしまい☆

見るということ

年のせいなのか、体調が悪いことがしばしばある。

腰が痛かったり、お腹痛かったり、寝るときに足の裏がかゆくて寝れなかったり、忘れ物が多かったり、夜中に何回もトイレ行ったり、突然めまいがしてふらっとしたり、

後頭部らへんが熱い感じがして
「もしかして脳梗塞ちゃうか」思ったり

人と話してて「あれ今、何しゃべってたんだっけ」
ってなったり。

若い時にはなかった結構な数の異変が体に起きている気がする。

こういう時は、見ること(観照)をすることにしている。

例えば、腰が痛いと感じたときにすぐにその痛みを見る。

すると、不思議なことにその痛みは明らかに減る。

後頭部が熱いと感じたら、その熱い感じを見る。

そして「脳梗塞ちゃうか」と思った自分に気づくと

それが単なる思考だったことがわかり気分が落ち着いてくる。

見ることには実はすごいパワーがある。

何かを見るときには、

必ず主体と客体、見る者と見られる者が発生する。

見る者が自分で、
見られる者が体、感覚、思考、感情など自分以外の全て。

その時には主体である自分と客体である体や感覚に
距離ができるので、痛みや不安に惑わされなくなる。

自分は痛みではないし、不安でもない。

本当の自分は見る者、観照する意識であることがわかる。

見ればわかる。痛みや不安を見ている者が本当の自分だって。

その観照する意識は、生まれてから今までずーっとあった。

体は生まれて成長して大人になって、
その後はやがて衰えて死んでいく。

本当の自分は、そんな体を見ていた者。

もう自分とは言えない何か。

生まれもせず死にもしない。
汚れたり清くもならない。
増えもせず減りもしない。

不生不滅 不垢不浄 不増不減
般若心経の言うとおりですやん!

実際、病気というのが何故あるのかというと、
見ることの練習として与えられたものじゃないかと思う。

試練。試しの練習なんよ、きっと。

やがてやってくる生のクライマックス。

死のその瞬間に死んでゆく自分の体を見ることができたら、
それ以上の成功はない。

なぜなら、本当の自分は死なないことを知るのだから。

引き寄せの法則

Joyの山川夫妻の翻訳とのことで、
ザ・シークレットを読んでみた。

ちょっと前にかなり話題になった本みたいで、
めちゃ売れてたらしいです

本の内容を簡単に言うと、
「引き寄せの法則」を使って幸せになりましょうといことです。

引き寄せの法則とは・・・

私たちが発する思いには、ある特定の周波数があって、
思考やイメージを抱くと、それが宇宙に放射されて、
同じ周波数をもった事象を引き寄せるというものです。

だから、肯定的なことを考えれば、
どんどんプラスのことがやってきて、

否定的なことを考えれば、
マイナスのことがたくさんやってくるってこと。

いつも笑ってニコニコしている人は、
笑いたくなるようなことを引き寄せる。

だから、いつも笑ってるわけですね。

いつも不平不満ばかり言ってる人は、
不平不満を言いたくなることばっかり引き寄せる。

だから、いつも不平不満をいうわけですね。

なるへそ、なるへそ。何となくわかるなぁ~

要するに、

いつも善いことを願って、
そういう波動を出してれば、
善いことばっか起こるわけですね。

この法則の使い方は、シンプルでたったこれだけ。

1.お願いする

2.信じる

3.受け取る

これは、富、健康、人間関係などすべてのことに当てはまる。

主なポイントは・・・

●お金、富

豊かさに焦点を合わせる。
お金は容易に、かつ、頻繁に入ってくる。
欲しいだけのお金がすでにあると信じる。
人にお金を与えると、たくさん受け取る。

●健康

ストレスの原因は否定的な考え、笑いは最良の薬。
不快な思考をすれば病気になり、
幸せな気持ちを持てば健康になる。
老化の思考は意識から追放して、
健康と永遠の若さを意識する

●人間関係

まず自分自身を愛し、尊敬する。
愛の波動、感謝の波動を出すと、愛と感謝を受け取る。

※実際の本には、もっとわかりやすく感動的に書いてあります。

年末でお忙しい時期ですが、
宝くじとか、来年の目標達成するとか、
いろいろ、引き寄せの法則でやってみるといいかもね!

☆おしまい☆

人間ってすごい!

宇宙(神)を認識できるのは人間だけです。

犬も猫も虎もライオンもサンマもマグロも宇宙を認識できない。
あの高崎山の猿でさえ、「これが宇宙だー!」とは言わない。

だから、人間がいなければ、宇宙には何の意味もない。

宇宙に意味や価値を見出すのは、人間だけです。

もし、人間がいない宇宙があったとして・・・

それが、どんなに美しく素晴らしいものであったとしても、
美しさ、素晴らしさを認識する器(人間)がいないので、
とんでもなく、つまらないものになってしまいます。

人間がいるからこそ宇宙は素晴らしい。地球は美しい。

人間って、すごい!

この世界を創っているのは、実はあなたです。
あなたが、宇宙を認識して世界を創り出している。

だから、世界は人間の数だけあります。
あなたは、あなたの世界の創造主なのです。

そして、あなたの世界が唯一の世界です。なぜなら・・・

あなたが死ねば、他を認識するものが消えて、他も消えるから。

あなたがいれば世界が有る。
あなたが死ねば世界は消える。

そして、この美しい言葉・・・

「神はあなたを通して自分自身を再発見する。」

全体の神は、分身であるあなたを通してしか、
自分自身を表現することができない。

全体の神とあなたの中の神は、同じ一つの神です。

あなたがいれば、神もいる。
あなたがいなければ、神もいない。

あぁ、なんてすごい仕組みなのでしょう。

ホントは、あなたが神なのです。

あなたは、神の現れなのです。

すごい!すごい!

Love☆