「2018」カテゴリーアーカイブ

波動とマントラ

引寄せの法則とかで、願望を波動にして宇宙に発すれば、

願ったことがやってくるっていうのがありますけど、

これは理にかなってると思うんですよねー。

我々がいるこの三次元世界は、すべて波動であるということは、

すでに科学で証明され、もう間違いないことです。

波動の性質として、同じ固有振動数を持つ物体同士は共振しあうとか、同じ周波数の音は共鳴するなどの現象が知られています。

我々の宇宙は、目に見えない波動のやり取りをしながら、今ここに形成されています。

人間も波動なので、人間同士でも知らないうちに、共振や共鳴現象を起こしていて、

なんとなく波長があう人、あわない人っていますよね~

波長が合う人同士は友達になったり、夫婦になったり、

波長が合わない人同士はケンカしたり、遠ざかったり、

同じ人に対してでも、波長があう時、あわない時があったり、

常に波動の交換、引きあい、離しあいをやってるわけです。

マントラ(真言)というのは、幸運を引寄せる音波動です。

波動の働きを知っていたインドの聖人たちが生み出して、密教として日本に伝わり多くの寺院で唱えられています。

マントラに純粋な思いの波動を乗せて宇宙に発すれば、それに共鳴した事象がやってくる。理にかなってるよねー

マントラは、思いの波動を乗せる乗り物とも言えるでしょう。

私もここ2,3年、マントラを唱えてますけど、特に願い事は設定してなくて、ただ無になって、楽しんで、唱えてるだけです。

それだけでも、自然と波動が高くなって、気分が落ち込んだりすることは、ほぼ無くなってるかなぁ~って感じです。

何もしてないときに、喜びの波みたいなのがやってくるのも、自分の波動と何かの波動が引き合ってるのかもしれません。

もともと人間には思えばそうなるパワーがあり、マントラはそれを発揮するための良いツールです。

自分の思いの波動をマントラの波動に乗せて宇宙に発すれば、宇宙はそれをきっと返してくれるでしょう。

以下に、オススメのマントラを紹介しますので、ぜひ、楽しみながら、好きなもの、波長があうものを、やってみてくださいねー

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【ムーラマントラ Moola Mantra】

DevaPremalも超おすすめです。

ムーラマントラは、宇宙根源の最高神(ブラフマン)を讃えるマントラです。家庭のこと、仕事のこと、人間関係のこと、あらゆる願いを解決してくれると言われています。

深く入り込んで唱えていると、美しくて荘厳な雰囲気に巻き込まれてしまいます。願い事がどうだとかそんなことはどうでもよくなってしまうような、不思議な波動を感じます。

<発音>
オーム サッチターナンダ パラブラーマー
プルショータマ パラマートマー
シュリー バガヴァティー サメーター
シュリー バガヴァテー ナマハー

<ローマ字>
On Sat-Chit-Ananda Parabrahma
Purushottama Paramatma
Sri Bhagavathi Sametha
Sri Bhagavathe Namah

<意味>
オーム 絶対の実在・智慧・至福である至高のブラフマンよ
最上の真我、至高の魂よ
輝ける至高者と、常に共にあれますように

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【ガヤトリー マントラ】Gayatri Mantra

Gayatri Mantra – Sathya Sai Baba (108)

ガヤトリー・マントラは、最高のマントラとして、世界中の人々に唱えられています。YouTubeでもたくさん出てきます。

唱える人を悟りへと導くだけでなく、その周囲にもよい影響を与えると言われます。「ガヤトリー・マントラ」という言葉は、それを考える者、声に発する者、瞑想する者を必ず護るという意味を含んでいるそうです。歴史も意味も深いマントラです。

<発音>
オーム ブフー ブヴァハ スワハ
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン
バルゴー デーヴァシャ ディーマヒ
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤート

<ローマ字>
Om  Bhur Bhuvah Svaha
Tat Savitur Varenyam
Bhargo Devasya Dhimahi
Dhiyo yonah Prachodayat

<意味>
物質的な世界 微妙な心の世界  因果の世界
あの宇宙の究極の実在を、あがめます
この究極の叡智の実在を、深く瞑想します
叡智を生きることによって われらが光となり、
究極の実在と一つになることができますように。

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【光明真言】

密教の最高仏・大日如来(マハー・ヴァイローチャナ)を讃えるマントラです。

このマントラを唱えることによって、過去の一切の罪障が消滅すると言われています。また、死者に対しても光明を及ぼして罪を消滅させるので、先祖供養にも良いとのことです。四国八十八ケ所お遍路さんでもよく唱えられてるそうです。

<発音>
オン アボキャ ベイロシャノウ
マカボダラ マニ ハンドマ
ジンバラ ハラバリタヤ ウン

<ローマ字>
oṃ amogha vairocana
mahā-mudrā maṇi padma
jvāla pravartaya hūṃ

<意味>
オーム  不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
光明を 放ち給え フーン

般若心経とセットで唱えるとさらに良いそうです。

・般若心経は、「あらゆる悩み」を解消するお経。
・光明真言は、「あらゆる災い」を解消する真言。

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【不動明王真言】

不動明王(アチャラナータ)は、密教でいう五大明王の中の代表的明王で、大日如来の化身ともいわれます。

日本では、もっとも多くの人に知られており、多くの寺院でまつられています。真言を唱えることの威力は絶大で、その効験は計り知れないといわれています。

凡俗すべてのことに効果があるが、怨敵調伏、勝負必勝、立身出世、商売繁盛になどにとくに霊験あらたかであるといわれています。

<発音>
ノウマク サンマンダバザラダン
センダ マカロシャダ ソワタヤ
ウンタラタ カンマン

<ローマ字>
namaḥ samanta vajrāṇāṃ
caṇḍamahāroṣaṇa sphoṭaya
hūṃ traṭ hāṃ māṃ

<意味>
激しい大いなる怒りの相(すがた)を示される不動明王よ。
迷いを打ち砕きたまえ。障りを除きたまえ。
所願を成就せしめたまえ。カン マン。

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【愛染明王真言】

愛染明王(ラーガ・ラージャ)は縁結びや恋愛成就の明王です。

仏教では愛欲・煩悩といった「かりそめの快楽」を否定的にとらえますが、愛染明王は愛欲を否定しない存在です。

愛欲は人の本能なので、これをなくすことはできず、逆にこの本能の力を昇華させて知恵と悟りを得るのです。

恋愛運も悟りもアップ!
こわ~い表情だけど、優しい波動のマントラです。

<発音>
オン マカラギャ バゾロシュニシャ
バザラサトバ ジャク ウン バン コク

<意味>
オーム、偉大なる愛染明王よ。
決して壊れない最高の仏智を携えた尊よ。
金剛薩埵と同一の尊よ。我々を仏智に導いてください。

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昔は命がけで遠くまで行って修行して得た情報が、今は自宅に居ながらネットで手に入る。

これって、すごいことだよねー。ほーい!

えっと、ほーい!っていうのも波動を高めるマントラですから(笑)

般若心経

般若心経について、ちゃんと勉強したことないので(笑)
勉強を兼ねて書いてみます。

般若心経の成立は5~6世紀頃らしいです。ということは、お釈迦様没後に、釈迦の教えをまとめたものの一つということですね。

心経(Heart Sutra)というくらいだから、まさに釈迦の教えの中心部分を短いお経にまとめたものです。

7世紀に入って、三蔵法師玄奘がインドから中国にお経を持ち帰り漢字に訳して今のような形になったと言われています。

その後、日本に伝わり、天台宗・真言宗・禅宗などでは主要なお経として、盛んに唱えられているようです。

そう言えば、ウチ猫のコジローお葬式でも般若心経となえてました。それくらいポピュラーなお経ということでしょう。

まずは、習うより慣れろということで、般若心経を3回繰り返し唱えてから15分間の無に入る瞑想ビデオを作りましたので、やってみてくださいねー。

般若心経で何を述べているか?ということですが、

超簡単に言うと、この世は「空」で実体は何もない。

般若の知恵でそれを見抜けば、心のわだかまりは消え、

恐怖も苦もすべて取り除かれて、涅槃へレッツゴー!

あぁ、めでたし! ほーい!  って感じです。

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以下は、玄奘訳と私の解説です。解説は、勝手に直感で書いてますので、たぶん仏教的には正しくありません(笑)

かんじざいぼさつ
観自在菩薩
(観音菩薩が、)

菩薩(ボーディサットヴァ)とは、悟りに近づいてる人のこと。

ぎょうじんはんにゃはらみたじ
行深般若波羅蜜多時
(深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)

般若波羅蜜多とは、深遠な知恵ということだけど、
しお的には、自分が外れたときに降りてくる気づき
全体の意識のこと。OSHOは瞑想と表現していました。

しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空
(人間の五つの構成要素がいずれも空であると見極めて、)

五蘊とは色・受・想・行・識の5つの働きの事
色・・・形象。形として目に見えるもの
受・・・感受作用。感じること
想・・・表象作用。思い浮かべること
行・・・意志作用。行動を決めること
識・・・認識作用。心で認識すること

例えば、イチローが試合で打席に立った時に、
まず相手ピッチャーの投げた球を見て(受)、
外角のカーブや!て、球筋を予想して(想)、
実際にバットを振りだして球に当てる(行)、
飛んだ打球を見てヒットやと認識する(識)

みたいなことだけど、これらはすべて実体はなく、
起こっては消えるものであるってことです。

どいっさいくやく
度一切苦厄
(すべての苦しみを取り除かれたのである。)

すべては空なのだから、苦しみも空だということですねー

しゃりし
舎利子
(そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子よ、)

舎利子(シャーリプトラ)は仏陀の十大弟子の一人。知恵者。

しきふいくう
色不異空
(形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色
(実体がないからこそ形あるものとして存在するものである。)
しきそくぜくう
色即是空
(したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、)
くうそくぜしき
空即是色
(実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)

色不異空・空不異色・色即是空・空即是色
については、すでに科学で証明されてますね。

素粒子たちは、現れたり、消えたりする振動であり、
見る人の意識によって粒子に見えたり、波動に見えたりする。

モノには実体はない。形として見えているだけってことです、

じゅそうぎょうしき
受想行識
(残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是
(まったく同じことなのである。)

受・想・行・識にも実体はない。

しゃりし
舎利子
(舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想
(この世のあらゆる現象には、実体がないという性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅
(生じたということもなく、滅したということもなく、)
ふくふじょう
不垢不浄
(よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減
(増えることもなく、減ることもないのである。)

不生不滅・不垢不浄・不増不減

実体がないんだから、生じもせず消えもせず、
汚れたり浄じたり、増えたり減ったりしないよねー

ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色
(したがって、実体がないことの中には、形あるものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識
(感覚も念想も意志も知識もないし、)

色・受・想・行・識ぜんぶ、ないないなーい!

むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意
(眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法
(形・音・香・味・触覚・思考といった感覚器官の対象もないし、)

目耳鼻口体心、五感とマインド、ぜんぶないないなーい!

むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界
(眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。)

とにかく全部、ないないなーい!

むむみょう
無無明
(さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽
(無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死
(ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽
(老と死がなくなることもないことになる。)

無知も老死もなく、それらがなくなることもない。
もともとないんだから、なくなることもないよねー

むくしゅうめつどう
無苦集滅道
(苦しみも、その原因も、それをなくすことも、その方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得
(知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故
(かくて、得ることもないのだから、)

ここらあたりになると、すべてはないんだけど、それは

無から現れて、この世界で表現され、また無に還ること。

生も老も死も苦も、無から現れた表現で、本質は無やでー!

無こそがすべてのお母さんなんやでーって、聞こえてきます。

ぼだいさった
菩提薩垂
(悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多
(知恵の完成に住する。)

知恵の完成とは、無こそがすべてである!
って見抜くことじゃね?

こしんむけいげ
故心無圭礙
(かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖
(さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想
(あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃
(永遠にしずかな境地に安住しているのである。)

そりゃー、無なんだから、恐れも誤りもないよねぇ~

さんぜしょぶつ
三世諸仏
(過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故
(知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提
(この上なき悟りを得るのである。)

大きな意識から降りてくる気づき(般若波羅蜜多)によって、

「すべては無であり、無がすべてである」と見抜いたときに、

涅槃(ニルバーナ)の境地に入り、この上なき悟りを得るのである

こち
故知
(したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多
(知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪
(偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪
(悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪
(この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪
(比較するものがない真言なのである。)

般若心経ってすごいんやでー。自画自賛?

のうじょいっさいく
能除一切苦
(これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚
(真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)

ほんまに、すごいんでっせー!
ほな、そろそろ知恵の完成いきまっせー!

こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪
(そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰
(すなわち次のような真言である。)

ここからはマントラだから、何も考えず無になって、
高らかに、言い放ちましょう!

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝
(往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
(完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提
(悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶
(めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経
(知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)

ボージ、ソワカ、あぁ、めでたし。ほーい!

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まとめ

般若心経とちゃんと向き合ってみた感想は、ほぼ非二元と一緒のこといってるなぁ~って感じです。

非二元では、私はいないって言いますが、般若心経でも、私の目、耳、鼻、口、体、心、五感もすべてないといいます。

私がいなくなって降りてきた大きな意識(般若の知恵)で世界を見てみれば、全てが空で移り変わること、無からすべては生じて消えてゆくこと、が明らかになります。

我々も生まれる前は無だったし、死んだら無になるわけですが、ただ一つ死なない永遠のものがある。それが無であるってこと。

全ては無から立ち現われた現象で、無こそすべての本性であるということ。色と空は無の二つの状態です。

よく一瞥体験とかで、不意にその無に入っちゃったとき、すべてがありありとわかるって言いますが、それは無がすべてであるからです。

無とは、何もないのではなく、全てであるということです。

結局、このお経は「無こそすべて」って言ってるんだよねー

涅槃(ニルバーナ)とは「全てである無」のことです。

さぁ、般若心経を3回唱えて、ニルバーナへいきましょう!

うほほほほーーい!

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最後までお読みいただき有難うございました(∩´∀`)∩

オマケ

般若心経 (OSHO本の訳)

人生は苦である?

お釈迦様は、人生は苦であると言ったそうです。

仏教では、生・老・病・死すべてが苦なんだそうです。

でもねー、私の回りでは,

このブログの最初のころに出てくる恩師・井原先生は、現在85歳だけど、いつも死ぬのが楽しみだーって言ってらっしゃるし、

1年前くらいに、膵臓癌になった私の先輩Yさんは、ガンになってから人生がわかるようになった。ガンになってよかったーって言ってはって、最近の検査でガンが小さくなったって喜んでたし、

そういえば、3年前にウチの嫁さんもガンになって、井原先生のおかげで治って、ついでに夫婦仲もちょっとよくなったりして、

年齢を重ねてからのほうが、若い頃には出来なかった経験がいろいろできて、楽しさの深みは増すと思うんですよねー。

やっぱり、ものの見方で世界は変わるってことなのでしょう。

私の世界は、私が創造してるので、思えばそうなる。

苦しいと思って見れば、苦しい世界が創造され、
楽しいと思って見れば、楽しい世界が創造される。

おー、シンプル!

しおの理論(笑)によると、宇宙の始まりの時に、無が揺らいで出てきた波動が「愛」で、この世界はすべてが愛だー!

ってなってるわけでして、

「人生は愛である」ならわかるけど「人生は苦である」って言われると、なんか違うんじゃね?ってなっちゃうんですよね。

そこんとこ、もうちょっと説明すると、

間違いなくこの宇宙は、無から始まっていて、
その無と無に違いが出来て、最初の揺らぎが起こったときに、

何故その揺らぎが起こったのか? というと、

やっぱり何か嬉しくて、ワクワクしちゃったんだと思うのです。

ワクワクしたときは、うほほ~い!って体も動きますよね。

辛くて苦しい時とかは、気持ちも落ち込んでるので、部屋に帰って布団かぶって寝たいですよね。

落ち込んでる時って、あんまり動きたくはないですよね。

なので、やっぱ静から動への、最初の動きは、嬉しさの揺らぎ、ワクワクの揺らぎだと思うのです。

嬉しくて、ついはじけちゃった~!・・・みたいな。

その喜びの波動が、宇宙全体に広がってるので、

喜怒哀楽、生老病死などあらゆる現象が起こっても

その背景には喜び、つまりは愛の波動があると思うのです。

般若心経でも、

般若の知恵で世界をみれば、

色は空であり、五感も体も心もすべてなく、

結局、な~んもない!って言った後に

このお経を唱えて、一切の苦しみを取り除き、

ガテー、ガテー、って涅槃へ超えて往っちゃう

わけなので、最後は無上の喜びじゃん!

で、終わってるわけでして、、、

 

お釈迦様といえば、ゴータマ・ブッダ、

ブッダといえば、悟った人の代名詞。

 

非二元的に言えば、今ここだけがリアルで、

人生も苦も生老病死も、頭の中のイメージで、

よく見れば、ほんとは実在しない! ってことは、

当然、ブッダは100%見抜いてはったと思うので、

そんな人が、あの微笑みを浮かべながら、

人生は苦であるとかいうのかなぁ???

まさかねー。苦であるにしといたほうが、

信者が集まりやすいってことじゃないよねぇ?

ちょっと、苦に重点置きすぎじゃね?

とか思ったりするのです。

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いつも、苦のことばっかり考えてると、

苦を引き寄せちゃうよねぇ~

ほーい!