サラリーマン・ショック

カズオは55才、不動産会社で働くサラリーマンである。

サラリーマンと言っても、この業界での経験はまだ半年。

会社では、年下の上司にあれこれと指図され
毎日あたふたと動き回る日々であった。

カズオの会社は、学生マンションの斡旋をしていて、
2月のこの時期はとても忙しい。

お客の案内が次々と飛び込み、
まず昼飯を食べる時間は取れない。

お客を店に呼び込むため、
大学入試の時などは校門前で朝早くから
チラシを配ったりもしなければならなかった。

<心が壊れた日>

その日は国公立大の入学試験の日であった。

朝7時から校門前でチラシを配り終えたカズオは、
すぐに会社に戻り、次々に訪れるお客を車に乗せて
物件案内に回った。

夕方6時を過ぎてやっとお客の流れが止まり、
一息ついていたカズオに、年下上司が予定外の命令を
下したのである。

「これから熊本駅に行ってチラシを配ってもらいます。」

この時、カズオの中で何かがパチッと弾けた音がした。

弾けてしまったカズオは、弾けたことを悟られないように、
笑顔を作り「了解でーす。」と言って、チラシを車に乗せ
熊本駅に向かったのである。

駅に着くと、日は落ち、あたりは暗くなっていた。
都合が悪いことに雨まで降ってきました。

心の中で何かが弾けて、
オーバーフロー状態になっていたカズオは、
それでも平常心を保とうと必死で笑顔を作り、

受験帰りと思われる人たちに
「お疲れ様でした~」と言ってチラシを手渡し続けました。

だが、30分ほど経って異変は起きました!

オーバーフロー状態になって溢れていた感情がとうとう
制御できなくなり、カズオを吹き飛ばしてしまったのです。

 

「ウオーーーン、ウォン、ウォーーーーン!!」

 

カズオは、怒りとも、悲しみとも、笑いともつかない声で
叫び出したのです。

 

「ウオーーーン、ウォン、ウォーーーーン!!」

「アヒャハャハヒーーーーッ!!!」

 

もう雨にぬれるとか、周りの人の目とか
は関係ありませんでした。

カズオが叫んだのではなくて、
叫びがカズオから溢れ出したのです。

その時、カズオの中には、なにか不思議な
すがすがしいものが流れていました。

帰りの車を運転しながら、カズオは
自分はもしかして気が狂ったのではないか?
と思いましたが、

「気が狂った人は、自分のこと気が狂ってるとは
思わないよね。」

「サラリーマンは、みんなこんなもんだよね。」

などど、思い無理やり納得したのであった。

それから、3週間経って、仕事の方もやっと落ち着き、今日も
普通に出勤するカズオなのであった。

☆おしまい☆

 

嫁のガンの件

私の嫁さんの話である。

去年の夏頃に何かできものができているということで、日赤病院に検査に行ったら、結果は「悪性リンパ腫」とのことだった。

血液のガンの一種で高倉健さんのと同じヤツです。

病院の先生の話では、

リンパ球がガンになってたまっていて、4A期という段階であり治療法は抗ガン剤を半年間で8回体に入れる方法が一般的ですとのこと。

本人としては痛みも痒みもないのに、ガンだなんて。ガーン!

それから、ガンのことを本で調べたりして、
ガン細胞というのは、健康な人でも一日に7千個くらい
出来ていて、免疫力で退治してるとか。

交感神経と副交感神経とのアンバランスが原因で
ガンなどいろんな病気が発生するのだとか。

あははと良く笑ってる人はガンにならないとか。
病は気からとか。

・・・いろいろと勉強しました。

それで、この状況を乗り切るためには、病院の先生が言ってた抗癌剤治療をやりつつ、

免疫力を高めるようなこともやっていくというのが
ベストな答えだろうということになりました。

以前、私が心臓の調子が悪かったとき、
恩師の井原先生に手を当ててもらって治った経験があって、

その井原先生の方法を今度は私が嫁さんにしてあげて、
少しでも免疫力を上げる手助けをすることにしました。

2014年8月4日 入院して最初の抗ガン剤投与。

しばらくすると髪の毛が抜け出して、頭はつるつるになる。

投与後は、だる~い感じと吐き気やしびれが
しばらく続くようです。

私としては、あまり悲惨な気持ちにならずに、
無理にでもあははと笑いの波動を出し

ガンをやっつけるという想いを持ち、
しかも無になって嫁さんの背中に手を当てる。

というなんというか井原先生風治療行為を
自分なりにしてあげました。

ま、何をするにしても想いの波動が大事よね!

そんなことを3週間おきに8回繰り返し、
今日はこの半年間の治療の結果を病院に
聞きに行く日だったのです。

朝9時半に日赤に行って、受付から呼び出しがあって、
嫁さんと二人で担当の先生の部屋に入る。

先生は、いきなり「結論から先に言います」と言って

「ガン細胞は、きれいに消えてます。完全に!」

といって笑いました。

嫁さんのほうは、感極まったのか逆に泣き出しました。

やはりこれまで苦しかったのでしょう。

私はといえば、不思議なことにこの半年間まったく心配とか、不安とかいった気持ちは出てこなくてガンは治るとしか思ってなくて、っていうか治るとしか思えなかったのです。

ま、思った通りのことが起こったという感じでした。

今回のガンは消えたけど、これからも起こることは起こるし、
抵抗する気持ちを手放せば、不思議とうまく回っていく気がします。

そうなれば、何が起こってもOKなのかもしれんね。

引き寄せの法則

Joyの山川夫妻の翻訳とのことで、
ザ・シークレットを読んでみた。

ちょっと前にかなり話題になった本みたいで、
めちゃ売れてたらしいです

本の内容を簡単に言うと、
「引き寄せの法則」を使って幸せになりましょうといことです。

引き寄せの法則とは・・・

私たちが発する思いには、ある特定の周波数があって、
思考やイメージを抱くと、それが宇宙に放射されて、
同じ周波数をもった事象を引き寄せるというものです。

だから、肯定的なことを考えれば、
どんどんプラスのことがやってきて、

否定的なことを考えれば、
マイナスのことがたくさんやってくるってこと。

いつも笑ってニコニコしている人は、
笑いたくなるようなことを引き寄せる。

だから、いつも笑ってるわけですね。

いつも不平不満ばかり言ってる人は、
不平不満を言いたくなることばっかり引き寄せる。

だから、いつも不平不満をいうわけですね。

なるへそ、なるへそ。何となくわかるなぁ~

要するに、

いつも善いことを願って、
そういう波動を出してれば、
善いことばっか起こるわけですね。

この法則の使い方は、シンプルでたったこれだけ。

1.お願いする

2.信じる

3.受け取る

これは、富、健康、人間関係などすべてのことに当てはまる。

主なポイントは・・・

●お金、富

豊かさに焦点を合わせる。
お金は容易に、かつ、頻繁に入ってくる。
欲しいだけのお金がすでにあると信じる。
人にお金を与えると、たくさん受け取る。

●健康

ストレスの原因は否定的な考え、笑いは最良の薬。
不快な思考をすれば病気になり、
幸せな気持ちを持てば健康になる。
老化の思考は意識から追放して、
健康と永遠の若さを意識する

●人間関係

まず自分自身を愛し、尊敬する。
愛の波動、感謝の波動を出すと、愛と感謝を受け取る。

※実際の本には、もっとわかりやすく感動的に書いてあります。

年末でお忙しい時期ですが、
宝くじとか、来年の目標達成するとか、
いろいろ、引き寄せの法則でやってみるといいかもね!

☆おしまい☆

3年ぶりの怒り

一度は禁煙したのだが、
一ヶ月であきらめて、また吸い出してしまい、

今では1日10本、2日で1箱、タバコを吸っている
おバカな私なのである。

この間の飲み会の帰りに、タバコ買おうと思って
近所のファミマに入った。

ファミマには、レジが2つあるのだが、手前のレジは
若いバイト風女子店員が何かの計算をしてて閉まってたので、
奥のレジに行った。

奥のレジでは、私の前にお客が一人いて、
オバサン風店員が対応していたので、
後ろに並んで待つことにした。

しばらくして、前のお客さんが終わったので、
よっしゃと思って、私がタバコを注文しようとしたら、

手前のレジにいた若いバイト風女子店員が、
レジ閉鎖中のプラスティックの札を私の前に置いて、
さっき閉まっていた手前のレジに行くように促すのである。

あれ、なんでそんなことすんの?と思いつつ、
ちょっとお酒入っとった勢いもあり、

「あんたが、あっちのレジ閉めとったけん、
オラこっちきて待っとったとバイッ」

と言って、また手前のレジにいき、そこに新しく居た
若いバイト風男子店員にいつもの倍くらいの声で

「カプリの赤い箱!」

と言ってタバコを買ったのである。

店を出て歩き出した私は、さっきの
若いバイト風女子店員の顔を思い出し、
そして謝りもしなかったことも思い出し、
だんだんムカムカと怒りが込み上げてきて、

「エーーイ、クソッ!」と言って

なんとカプリの赤い箱を地面に投げつけたのである。

振り返れば、これは、3年ぶりの怒りの体験であった!!

私は、怒りの感情に乗っ取られてしまったのである。

あ~あ、これでは、また修行のやり直しである。

☆おしまい☆

人間ってすごい!

宇宙(神)を認識できるのは人間だけです。

犬も猫も虎もライオンもサンマもマグロも宇宙を認識できない。
あの高崎山の猿でさえ、「これが宇宙だー!」とは言わない。

だから、人間がいなければ、宇宙には何の意味もない。

宇宙に意味や価値を見出すのは、人間だけです。

もし、人間がいない宇宙があったとして・・・

それが、どんなに美しく素晴らしいものであったとしても、
美しさ、素晴らしさを認識する器(人間)がいないので、
とんでもなく、つまらないものになってしまいます。

人間がいるからこそ宇宙は素晴らしい。地球は美しい。

人間って、すごい!

この世界を創っているのは、実はあなたです。
あなたが、宇宙を認識して世界を創り出している。

だから、世界は人間の数だけあります。
あなたは、あなたの世界の創造主なのです。

そして、あなたの世界が唯一の世界です。なぜなら・・・

あなたが死ねば、他を認識するものが消えて、他も消えるから。

あなたがいれば世界が有る。
あなたが死ねば世界は消える。

そして、この美しい言葉・・・

「神はあなたを通して自分自身を再発見する。」

全体の神は、分身であるあなたを通してしか、
自分自身を表現することができない。

全体の神とあなたの中の神は、同じ一つの神です。

あなたがいれば、神もいる。
あなたがいなければ、神もいない。

あぁ、なんてすごい仕組みなのでしょう。

ホントは、あなたが神なのです。

あなたは、神の現れなのです。

すごい!すごい!

Love☆

ジョギング瞑想

最近、運動不足だったので、
久しぶりに3キロほどゆっくり走ってみた。

はぁはぁと出たり入ったりする息、交互に動く足と手。
その動きをじっと見守り、自覚しながら走った。

そのうちに
「走っている自分を見ている自分」
がいることに気づくことができた。

自分は体ではなく、それを動かしている意識なんだなと思った。

足はだんだんと疲れてくるが、自分は疲れていない。
体は前に進んでいるが、自分は不動でまったく動いていない。

これがホントの自分なんだなと思った。
と同時に、昔からそうだったよなと気づいた。

なぜか、ちょっとうれしくなった。
ついでに、ちょっと実験をしてみた。

言い方が難しいのだが・・・

走っている自分を見ている自分(=ホントの自分)を
さらに意識する。

つまり、「自分が自分を意識する」状態にチャレンジする。

エイッとそれに同化してみた。

すると、なにか不思議な感覚がおとずれた。
スイッチが入って、何かのドアが開いた感じだった。

その感覚はなんとも言えないが、
そこにおおきな何かがあると感じるのである。

それはものすごく気持ちいいものの気がするのです。
(主観ですが・・・)

さらに追求する。

思いのマジック

昨日は車がなかったので、久しぶりにJRに乗って
八代から熊本まで小旅行してみた。

最近のJR列車は揺れが少なくて快適でんなー
などと思いつつ周りの景色を見てたりしたが、

だんだん飽きてきて周りの人々を見てみると、

オジサン、オバサン、子供連れ、学生さんなど
私の知らない人たちが普通に立ったり座ったりしていた
(当たり前ですな)。

皆さん自分たちの世界の中で自分たちの仕事をしている。
私のことはまったく気にしていない様子。。。

私は、何もすることがなく手持無沙汰なので、
変なオジサンと思われるかもしれないが・・・

「この車両に乗ってる人みんな全員、幸せにな~れ!」

と、2、3秒目を閉じて、
割と強く、心の中で思ってみたのである。

そして、目を開けて見るとびっくり。

今までと見える光景がなんか違うのである。

何か空気感がふんわりしたような感じになって、
そこにいる知らない人たちが、他人とは思えなく見える。

まるで、前から知っている人のように、
その人たちの目がやさしく見える。

私は、そのやさしい人たちのやさしいまなざしに囲まれて、
目的地まで快適に過ごしたのである。

これは、どういうことでしょ・・・

多分、私が発した思いの波動エネルギーが
うんちゃら、かんちゃらなんだと思うが、

結果として、すばらしいことではないか!

しかも、思うだけだから周りに気付かれることもなく、
1円もかからずに・・・だよ!

この法則を発見した私は、
さっそく今日からやってみることにした。

仕事場についたとき、会議が始まるとき、授業を始めるとき、飲み会が始まるとき、人前で話しするとき、就職の面接のとき、別れた奥さんと久しぶりに会ったとき、etc

とにかく、あらゆる場面で・・・

「ここにいる人全員、幸せにな~れ!」

・・・

☆おしまい☆

私の宇宙観

井原先生と出会って1年半が過ぎ、
私の宇宙観・世界観もだいぶ変わってきたと思う。

以前は、目の前にある「この世」のことしか
考えてなかったのでそれが全てだった。

今は井原先生の影響で、「あの世」も含めた世界観に
すっかり変わった。

今日は、現時点での私の宇宙観・世界観を書いてみようと思う。

そもそも、この宇宙は137億年前にほんのわずかの「ゆらぎ」が起こったことをきっかけとして、ビッグバンと呼ばれる大振動に発展しで形成されました。

太陽も、月も、地球も、我々人間も、「ゆらぎ」の産物なのです。

では、その「ゆらぎ」はなぜ起こったのか?

私は、それは神の想い(愛)が起こしたものではないか、と思っています。

この宇宙は神の想いから始まっているのです。

今現在もあらゆるところがその神の想いであふれています。

想いというのは、ある種の波動(振動、ウェーブ)です。宇宙のすべては波動です。

目に見える物質も波動、目に見えない魂も波動です。

人間が死ぬと肉体は動かなくなり朽ち果てていきますが、魂は目に見えない波動として残ります。

我々の本質は肉体ではなく魂という波動です。肉体は単なる乗り物です。

肉体から離れた魂は、あの世と呼ばれる世界の自分が行くべき場所へ導かれて行きます。

この世では、善人も悪人も、波長が合う人も合わない人も一緒に同じ世界に暮らしていますが、

あの世では魂の波長で引きよせ合い、波長が合う人たちのグループが形成され、違うグループの魂が交わることはありません。

あの世は、おおざっぱに言うと、3つのグループに分かれます。

この世において神の想いを知り、それに向かって成長し、悟り~光明(サマーディ)の境地まで達した人々が集まる賢者たちのグループ。

ここにいる賢者たちのことを私は神々と呼んでいます。

この世では、日々の世俗的な物事にとらわれて一生を送ってしまった人々。

ほとんど神の想いに気づくことがなく、悟りの境地にも達しなかった普通の人々。

一般人、凡者たちのグループ。

この世において、残念なことに神の想いに反するような一生を送った人々。

愛を知らず、人を憎み、苦しめ、だまし、おとしめることに一生を使ってしまった愚者たちのグループ。

この世は、死んだ後にあの世の賢者グループに行くための修行の場です。

この世で光明を得ることができずに賢者グループに行けなかった魂たちは、新しい肉体を見つけて輪廻転生を繰り返しますが、

賢者グループの神々たちは神と同化しているので、もう人間に生まれる必要はありません。

井原先生は、よくおっしゃいます。

死ぬのは悪いことではない。死んだ後にどこに行くかが問題なのだ。

この世では、死んだ先にどこに行くかの勝負をやっているんだ。

そして、この世とあの世とは別々のものではなく、
コインの表裏のようなもの。

片面がこの世、もう片面があの世。
あの世もこの世も同じ一枚のコイン。

この世とあの世が一体になって、
魂たちの波動の交流をしながら宇宙は動いている。

賢者クループの神々は、いつもそばにいて
「こっちへおいで」と手招きしているのです。

我々人間は、この世にて、神の想いに目覚め、
神々と波長を合わせて成長し、そして

光明を得て自らが神々となり、
まだ悟り得ぬ魂たちを神へと導いていくという、

神が創った素晴らしいサイクルのなかで生きている。

この宇宙は、ちょっとした神の遊び場だ。

神は、宇宙の中に、人間という自らの種をまき、
その種たちは成長して自ら神となり、

その波動を宇宙に還元して
より神性にあふれた素晴らしい宇宙を創っていく。

我々は、神の種としてこの世に生まれた、成長途中の神の子だ。

人生の目的とは何か?と問われたら、

「死んで神となること」と、今は答える。

さとりの体験?

それが、何だったのかわからないが記しておきます。

2012年10月9日の出来事

私は、ここのところずっと夕方に瞑想をする習慣があり、
その日もいつものように瞑想をしたのですが、
瞑想の後、そのまま眠りに入ってしまいました。

眠りから覚めてしばらくは、
なんとなく体の具合がよくない感じで
ぼーっとしてたのですが、

不意に右上方の空間から振動のようなものが
ザーッとやってくるのを感じて、

いったいこれが何なのかわからないまま、
その振動にまかせていました。

だんだんと、
その振動が体の中から湧き上がってくるようになって

力がみなぎってきて、肉体の目が大きく開いたのと同時に、
内側の目も音が聞こえるくらいにパカッと開きました!

すると、ものの見え方が今までとまったく違って
見えるようになりました。

ちょっと上から見ているような感じで、
すべてがリアルに見えるのです。

言葉では、到底うまく表現できないですが・・・

あの世とこの世が一つになって全体が見える感じ・・・

見る側も見られる側もなく、
見ることそれ自体になった感じ・・・

在るそのものが在るのがはっきりとわかるのです!

ワーッと内側から喜びが湧いてきて、
(喜びのレベルが普通じゃない!)

わかった!わかった!これが悟りだ!悟りだ!

もう死ぬのもまったく怖くない。
死なんてないよ!ウワァーー!!

しばらく、その喜びのなかにひたっていながらも、
なぜか、これが悟りなら、これからどうなるんだろう
という思いもありました。

多分、その状態は1時間も続かなかったと思います。

しばらくすると、それは潮が引くように去って行きました。

それから、2か月以上経ちますがその状態はやってきません。

その状態を望めば、それが欲望になるので来ないのでしょう。

気楽に待つよりしょうがないのかな。

あとで、井原先生にこのことを話すと、先生は
「私もそういうのはよくあるよ。」だそうです(笑)

今日の話は、まったくもって主観の話なので、それが
「悟り」と呼ばれるものかどうかはわかりません。

ただ、そういう状態があるということはわかったので
今後の励みになります。

しおちかの瞑想ブログ