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菜穂ちゃんのサットサン

菜穂ちゃんに会うのは今回で3回目。

前回までは、神様仏様に見えていたのだが、
さすがに今回はちゃんと人間に見えた(笑)

午前中は、サイレントサットサン

沈黙のなかで目を閉じて、
菜穂ちゃんの存在を感じようと、
菜穂ちゃんが座っていたあたりを探したが、
そこに彼女はいなかった。

あらあらどこに行ったかな?と回りを見てみたら、
部屋いっぱいに彼女の存在がひろがっていた。

例の菜穂愛に部屋全体が満たされていたのである。
やられた~ これが大和田温泉ってヤツなんや~💓

ときおり、菜穂ちゃんの言葉が入りながら
サイレントは続いたが、ちょびっと疲れてきたので、
後ろの方でゆらゆらダンスを踊ったら
めっちゃ気持ちよかった😄

午後はいつものサットサン

質問タイムには、たくさんの問いが出て、
たくさんの答えが出た。

3つほど「おっ、こらつかんだで~、ヒャッホー!」って
いうのがあったのだが、それが何だったのか、全て忘れた。

ただ、これ言ったら怒られるかな?って質問したけど、
別に怒られなかったのでそれは良かったかも。
(菜穂ちゃんフトッパラー)

質問が湧く→答えが湧く→の繰り返しは、

全部ストーリーの中での出来事なので、

面白いんだけど、どこまでいっても

おわらないねぇ~。洗濯機みたいだね~。

って菜穂ちゃんも言ってた。(記憶違いだったらゴメン)

今日のサイレントサットサンで

ホントの答えは、サイレントの中にある

って思った。

それが、一番の収穫だったかもね。

Love⭐

死はない

また気づきが降りてきたので書いてみます。

降りてきたのは、死はないってこと。

誰も死なないし、誰も死ねないってこと。

ついにコイツ、気が狂ったな~って思われてると思うけど・・・

まだ大丈夫。狂ってないハズ。笑いも出るし。あははー!

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説明してみる。

あなたの恋人Kさんが不治の病にかかり、これから
病院のベッドで息を引き取ろうとしているとする。

あなたはKさんと最後の会話をしていたが、午前十時に
なると同時にKさんは目を閉じて動かなくなった。

これは、あなたの側から見たKさんの最後の様子であり、
あなたの生の中で起こったことだ。

では、Kさんのほうからはどうだったのだろう。

Kさんはあなたと最後の会話をしていたが、だんだんと
意識が遠くなり、午前十時に意識がなくなった。

ここでKさんが経験したのは「あなたと会話をした」
ことと「意識が遠くなった」ことだけ。

十時以降はなにもない。経験する主体のKさんは
もういないので何も経験できない。

ここでKさんは死を経験していない。

Kさんにとって、死はなかったのだ。

死を経験しようにも、Kさんはもういない。

経験できるのは、生だけだってこと。

もし明日Kさんの幽霊が現れて、あなたに
「うらめしやー」と言ったとしても、

それはあなたの生の中で起きていること。

それに、その幽霊は生きてる!

あなたの恋人Kさんは、やっぱり死んでなかった。

あとは二人で勝手にやってくれ(笑)

死はないのよ!

この世には、死後の世界を語る人たちがいる。

その人たちは、自分の生の中で死後のことを語っている。

この世で今、死後の世界についての考えが湧いてるだけ。

あの丹波哲郎さんは、死後には大霊界があると言っていた。

もしどっかに霊界というものがあって、そこで霊たちが
暮らしていたとしても、それは霊たちにとっては生だよね。

その霊たちはこの世にいたときからずーっと生きている。
この世とあの世の間で死を経験していない。

もう何百歳になっているのだろう。

ひょっとして、何千歳?何万歳?どんな顔になってる?

死後の世界があるのかないのか知らないけど、
どっちに行ったとしても死は経験しない。

つまり、生しかない。死はないってこと。

いまだかつて死を経験した人はいない。

誰も死なないし、誰も死ねないのだ。

あの世でもこの世でも、全ての出来事は、
どんな事も生の中で起こる。

死は出来事ではない。存在しないただの概念。

「今」の永遠性の中で、死は存在しない。

なぜなら、「今」は生そのものだから。

これから先、あなたが死に出会うことはない。

無いものを恐れる必要はない。

ただ「今」に落ち着けばいいだけ。

そこには、永遠の生がある。

Love.

何もない

昨日、気づきがやってきてすべてが崩壊した。

いよいよオレも気が狂ったかと思ったが
気が狂った人は、自分を気が狂ったと言わないよね。

だから、大丈夫と思う。笑いも出るし。あははー!

気づいたのは、何もないってこと。

山はない、川はない、木はない、花はない、
月はない、地球はない、あなたはいない、私もいない。

何もないし、誰もいない。

あるのは、意識と呼ばれるもの
これ、ある、無、全体、神・・・
名前は何でもいいんだけど、言葉で言えないもの。

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説明してみる。

例えば、まだ発見されていない星が一生を終えたとする。
その星はあったのだろうか? なかったのだろうか?

なかったのだ。

なぜなら、発見されてないから。
すでに一生を終えているので、もう発見の可能性はない。

発見されて初めて存在することになる。
発見されてないのであれば、その存在は想像にすぎない。

ネッシーは、いるのか? いないのか?
まだ発見されていなければ、いないのである。

このようにある対象の存在は、

それが発見され意識されたときに確定する。

違う言い方をすると、意識が全ての対象を創っているのである。

今、世界があると思ってますよね?

今この世界があるのは、

あなたの意識が周りの状況を感じて
世界を創り出しているからであり、
あなたの意識がなければ世界はない。

まだ、大丈夫。

笑いも出るし。あははー!

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違う角度から説明する。

すでにモノがないことは証明されていますね。

物質を、分子→原子→素粒子→ と調べていけば、その先には

モノと呼べるものはなく、現れたり、消えたりする運動がある。

その運動も観察者の意識によって粒子に見えたり、

波動に見えたりするそうです。

これは、ないモノを意識が創ってるってことの証明ですよね?

この世界のモノ全ては、不確かで揺らいでいて実体はない。

その実体のないモノから出る揺らぐ波のようなものを

私たちの意識が脳と感覚器を使って

視覚、聴覚、触覚などの感覚を発生させて

形や色を創り出しモノがあるように見せているってこと。

例えば、目の前に壁があるとする。

壁はモノなので実体がないのだが、
視覚を使って実体があるように見えている。

壁を叩いたり触ったりすると、
痛かったりゴワゴワする感じがあるので

まるで実際に壁というモノがあるように感じる。

さらに、その痛いゴワゴワという感覚をよく見てみると
その感覚にも実体はない。

感覚は、見えないし触れないしどこにあるのかわからない。

見えない痛い、ゴワゴワ感が湧き起こっているだけ。

だから、何もない(笑)

この世界は、まるで3D映像のようなもの。実体はない。

私達が見ているのは夢の世界。この世界は幻(マーヤ)

このように、本当はこの世界は実体のない幻なんだけど、

まるで実在するかのように感じて毎日生きてますよね。

苦しみも楽しみも喜びも悲しみも感じて生きてますよね。

何もないのに感じれる。それはそれで素晴らしい!

どのみち幻なんだからいろいろ感じた方が楽しいよね。

この世界は神が創った壮大な遊び場(リーラ)なのよ!

まだ、大丈夫?気は狂ってないよね。

笑いも出るし。あははー!

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たとえば、あなたの嫌いなAさんがいたとする。

Aさんの体はモノだから実体はない。Aさんはいない。

Aさんと呼ばれる現象が出している波動をあなたが感じて

Aさんという見かけ上の人をあなたが創り出している。

Aさんはあなたが創っている。あなたがAさん。

あなたは、自分が創ったAさんを嫌いだと言っている。

自分で自分が嫌いだといっている。あほらしくね?

あほらしいけど、おもしろい仕組みではあるよね。

そしてAさんを創り出しているあなた(自分)をよく見る。

自分というのも自分の意識が創り出している実体のない現象。

あなたもAさんもいない。誰もいない(笑)

じゃあ、何があるのだろう。

あるのは、意識と呼ばれるもの

これ、ある、無、全体、神・・・名前は何でもいい。

目にはみえない、姿も形もない。

無だけどある。ずーっとそこにあった。

生まれることも死ぬこともない。永遠そのもの。

愛といってもいい。それが、ほんとうのあなた。

Love.

「無」の画像検索結果

時間 距離 空間

私たちは、
過去・現在・未来という時間の流れの中にいる(と思っている)

生まれてから今日まで生きてきた過去があり、
今日から未来に向けて死ぬまで生きていく(と思っている)

だけどよく考えると、
過去は過ぎ去ったものなので存在しないし、
未来はまだやってきてないものなので、
これも存在したことがない。

実際に存在するのは今しかない。
今、過去のことや未来のことを考えてる。

だから過去や未来は、
今この瞬間に頭に浮かんでいる思考でしかない。

時間の流れというのは実在しない。頭の中の概念にすぎない。

宇宙が誕生してから、ずーっと今だったし、
はるか遠い未来までずーっと今。

だから今とは永遠のこと。時間を超えた何か。

リアルに実在するこれそのもののこと。

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もっと考えてみる。

1日は24時間だけど、これは地球が一周する時間のこと。

地球一周は約4万kmだから、1日=4万kmと言える。

1時間は1日を24分割したものだから、
4万km÷24=約1667kmとなる。

このように時間は距離で表せるので、
時間=距離ということができる。

ここで気づくことは、
先ほど時間は頭の中の概念であり実在しないと確認したので
イコールで結ばれた距離も同じく概念であり実在しない
ということ。

さらに、
空間というのも距離や時間がないと存在できないものであり、
距離も時間も実在しないので存在しない。

空間というのは、
人間の意識がある対象を意識したときに創り出すもので、
時間や距離と同じく頭の中での概念にすきない。

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もっとスケールを広げて見る。

1光年とは、光が1年間に進む距離のこと。

光は1秒間に地球を7回り半するので、
4万km×7.5=30万km/秒となる。

すると1光年は:
30万km×60×60×24×365=約9兆4600億kmとなる

ちなみに北極星は431光年先にあるそうなので、
北極星の光は431年かけて地球に届く。

ということは、
私達が見ている北極星は戦国時代あたりの北極星なんだすね。

その距離は、9兆4600億km×431=4077兆2600億kmとなる。

はぁ~、ほっきょくせいてとおいんですねぇ~

ここで今、

夜空を見上げて月と北極星を見ている場面を想像してみる。

月の光は1秒前のもので、北極星の光は431年前のものだ。

今、1秒前の光と431年前の光を同時に見ている。

今ここに、1秒前と戦国時代が一緒に存在しているわけである。

これはいったいどういうことであろうか?

言えるのは、
この場面では時間も距離も空間も崩壊しているってこと。

時間や距離や空間は、頭の中の概念であり実在してない。

実在するのは、今ここだけだということ。

 

あるということ

この世界は、あるよね。

なぜあることが可能なのか?

まず初めに「ある」があるから

そのあるがなければすべては存在できない

すべての源、根源。それが、あるということ。

長い間、サトリの本を読んだり、瞑想したりしてきた。

サトリを求めることがライフワークになっていた。

だけど、今日やってきた答えは、

ただ、あることに落ち着けばいいということ。

笑った。サトリなんてないよ。ただの概念。

何もする必要はなかった。あるがあるだけ。

ただ見る

ただ見る

視覚を使わないで見る

全部の概念を外して、ただ見る

そこにあるのがあるということ。

見ようとしなくてもあるんだけどね(笑)

いつも明らかなのに、わからない

あまりにも近すぎて、わからない

わかろうとすれば、逃げていく

不思議な不思議な宝物

あるということ

公然の秘密(オープン・シークレット)

オープンシークレット

非二元のこと

ここ2、3年日本のスピリチュアル界?では
非二元(ノンデュアリティ)がブームのようです。

大和田菜穂さんの出現と大御所の阿部敏郎さんが
菜穂さんをブログで紹介したことがブームを作った
大きな要因じゃないかなぁと思います。

その非二元の教えは、実は古くからあるもので、
OSHOやエックハルト・トールなども
そのエッセンスを語っていました。

どうも欧米では、日本よりも早くブームになっていて、
トニー・パーソンズ氏がキーパーソンのようで、
彼の元で解放に至った人がかなりいるようです。

菜穂さんもトニーさんからたくさんの影響を受けたと
本に書いています。

残念ながらトニーさんの日本語訳本は出ていないようですが、YouTubeで彼のビデオは見ることは可能です。

非二元。つまり、二つにあらず。

ワンネス、一つであるというのとも微妙に違う。
一つでさえもない。一つと言ったとたんに概念が入り込むから。

「無元」と言った方がいいのかも?

そのメッセージでよく出てくるのは・・・

すべては全体のエネルキーの表現であり、分離はない。
個人は存在しない。時間も距離も空間もない。

ひと言で表現すれば「 これ 」があるだけ。ってこと。

ほんとにシンプルなメッセージですが、
危険なメッセージでもあります。

なぜなら、普通と逆だから・・・

非二元は、私はいない 分離はない と言いますが

普通は、私はいる 全体と分離して個として存在する。
と思っています。

この世の普通の人は 「私と世界」という
二元の世界を生きているわけで、

非二元のメッセージは、個人にとって
「自己崩壊のススメ」に他なりません。

さらに、「時間も距離も空間もない」といわれれば、
なんのこっちゃ??? となるのが普通だと思います。

「時間も距離も空間もない」というのは、
全ての概念を外して見抜いたときに明らかになること
であって、普通は時間も距離も空間もありますよね。(笑)

非二元のメッセージは究極のメッセージです。

これまで探求というものにはいくつかの段階があって
梯子の段を一つ一つ上がっていくというイメージでいた
のですが、非二元のメッセージは梯子の一番上の段から
話しかけているように聞こえます。

非二元は、探求でさえないのです。
それは探求の終わりに訪れるものを示しています。

OSHOは、探求者のレベルに応じて話をしていたので
よく話が矛盾しました。

レベルAの人に話すこととレベルBの人に話すことは
逆のことを言ったりもしました。

それがOSHOのやり方だったのです。それで、OKでした。

菜穂さんの話は終始一貫していて矛盾することがありません。
誰に話すときにもぶれることなく同じメッセージです。

それは、非二元のメッセージは、余分なものを取り除いて
どこも変える必要のない究極のメッセージだからです。

そのメッセージと波長が合えば、
最短で解放が訪れるかも知れません。

何せ非二元では、修行みたいなことはなにもいらないのだから。

ただ、「 これ 」を見抜くだけ。今すぐに・・・

精神世界の探求もそういう時代になったのかなぁって思います。